リレーエッセイ「友達の輪」は、とっておきの友達を紹介するコーナー。
若林久美子さんからの紹介は近江譲さんです。



近江譲さん
FRIENDS NO.087


●生年月日:1952/2/28
●趣味:鉄道に関するすべて、トレッキング
●大切にしていること:視野を広く持つ
●今の気持ちを漢字一文字で表現すると:次へ
●若い秘訣:趣味と仕事の両立


鉄道好きは止まらない

 

近江鉄道と言う名前の鉄道会社が滋賀県に実在するくらいだから、私と鉄道は何かの因縁で繋がっているのかも知れない。記憶に残るかぎりでは、3才のころから還暦を間近にした今でも無類の鉄道好きである。半世紀以上も鉄道に興味を持ってきたことになる。読者の方で、東京の真中の山手貨物線を蒸気機関車がポッポ、ポッポと走っていたことをご記憶の方はいらっしゃるだろうか。その50年の記憶の中に歴史的な大イベントが二つ、一つは新幹線の誕生、そして二つめは蒸気機関車の終焉である。順序が逆?いえ、東海道新幹線は東京オリンピックの開催に合わせ1964年開業、そして1976年に蒸気機関車が営業から引退したのだ。新幹線が出来てから12年間も蒸気機関車は日本全国をのどかに走っていたことになる。良き思い出である。

昔、鉄道好きは趣味の中では地味な存在だった。鉄道ファンの間では鉄道好きで知られていた売れっ子芸能人は「鉄道」の事など一言も口に出さず、自分はクルーザーが趣味ですと言っていた。鉄女(鉄道好きな女性)、乗り鉄、撮り鉄や、鉄道好きと自称する時の大臣がいるなど、最近は少し日の目を見ることが出来るようになって自分としてはうれしい限りである。市民権を得た鉄道趣味も、少し前に遡れば「おたく」と揶揄されていた時代が長かった。

遊びでも、仕事でも日本中どこでも鉄道で出かける私だが、松本清張の「点と線」や西村京太郎の「トラベルミステリー」張りの事件には残念ながらこれまで遭遇したことは無い。しかし時刻表を駆使して精密にダイヤを記憶し列車を9本、10本と乗り継いで目的地に到達する醍醐味?をいつも味わっている。だが最終駅に着くころに鉄道でおなかが一杯になる。過去に一度こんな事が起こった。その日は九州に出張に出かけるため東京から新幹線を使った。理由は中部地方に接近していた台風だ。「飛行機は飛ばないかもしれない。」「ならば新幹線!」「最終の博多行きには少し残業してからでも、間に合う。」鉄道好きの私はとっさにそう考えた。そしてここからが始まり、残業を終えて博多行最終ひかりに飛び乗った「間に合った!」。だが東京を出発して1時間もしないうちに静岡あたりで豪雨によりストップ、釘づけ。名古屋に着くころには3時間の遅れ。この先どうなるのだろう、不安がよぎった。雨が止んで順調に走り出したのは午前1時を回っていた、その頃走っている新幹線はこの最終列車だけ、通過駅は閉店して皆真っ暗、暗闇の中を、私を乗せたひかり号は遅れを取り戻すためひたすら走り続ける。お客は皆途中であきらめて下車したものだから、自分が乗った車両に「え〜私一人だけ!心細い。」午前2時半ようやく博多に到着。しかし、駅に降り立ちタクシーに乗り込むと、「お客さん、行先のホテルまで道がわかりません」と運転手。ホテルは博多のど真ん中なのになぜ?どうなってるんだ?その当時深夜は福岡市内に久留米とか地方から出稼ぎに来ているタクシーが多く、細かく道を指示しないと目的地に着くことが出来なかった。最後にホテルにたどり着いたのはなんと午前三時過ぎ、次の日は早朝から仕事だった。この時ばかりはいくら好きでも九州まで鉄道で来るなど、「バカなことはやめよう」と思った。当時私は三十代、外資系バリバリのビジネスパーソン、効率重視で出張はスマートに、が当たり前。飛行機にしていればトラブルフリーでここまで来られたのに。その日は台風にも関わらず結局のところ飛行機は飛んでいた!反省しきり。

しかし日本の鉄道は安全、安心、いつもは時間に正確、性能・デザインもよい、と良いところばかりだ。新幹線は開業以来50年近く人身事故ゼロ。1人当たりのCO2排出量は少なくエコで、鉄道はすごい。実は、先ほどの出張の帰りは、博多から寝台特急に乗ってしまった、東京まで14時間ぐらい。鉄道好きの私にとって、鉄道で巡る町や村、列車で出会う親切な地元の人、同じ車両に乗り合わせた旅人たちなど、旅の情緒を味わうのはやっぱり鉄道が一番。出張でも観光でも、楽しみで癒しになるのが鉄道。半世紀以上たったけれどこれからも私の「鉄道好きは止まらない。」



FRIENDS NO.087
『近江譲さん』

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