ああ、不思議な国、ニッポン
筆者プロフィール VOL.O12

かつて、日本家屋を見た外国人は「木と紙の家」と表現した。木造の建物に障子や襖といった紙でできた建具。木と紙は日本の住まいにとって欠かすことのできない大切なものであった。


それだけではない。番傘や団扇、扇子などの日用品として、行灯、提灯などの照明用器具としてあるいは凧、千代紙の人形、紙風船などの遊び道具として、奉書焼きなどの料理に紙衣や道中合羽などの衣装まで。ある時は包装紙として、袋として、書物であり、手紙であり、書である。熨斗紙であり折り紙である。紙は日本人の生活と深く密接に関わってきたのである。

一世紀の初め、中国で発明された紙漉きの技術は数世紀の後に、朝鮮高句麗、百済を経て日本へ伝わってきた。それから後、例によって日本独自の工夫がなされ、わが国特有の紙(和紙)となったのである。


現在でも、古来からの伝統的な手漉の技法による和紙は日本各地で作られていて、それぞれに、特長のある紙が作られている。コウゾ(楮)、ミツマタ(三椏)、ガンピ(雁皮)などの木の枝の部分の繊維を原料として和紙は作られる。

 

明治以降、印刷に適した洋紙が導入され、またさまざまな工業製品の発明によって、和紙が活躍する場は年とともに少なくなってしまった。西洋の文化が日本中に一杯になっているこのご時世である。そこで考えてほしい。

この国には、生まれ、育ったものがある。厳しい冬中に、寒冷の水に手をひたして漉いた紙は、温かく柔らかく清らかで、丈夫である。まるで日本人(?)そのものであるかのような気にさえなる。
考えるに、木の皮という単純な材料に過ぎない和紙。それは書にしても、よほどの名筆家でもなければ、紙を穢すことになる。和紙はただそのままでももうすでに立派なのである。
真白な紙は単に紙ではない、神なのかも。