ああ、不思議な国、ニッポン
筆者プロフィール VOL.O10

人形 ひとがた

丑の時参り、なんて言葉がある。嫉妬深い女性が、嫉みがましく思う人をのろい殺すために、丑の時(夜中の二時頃)に神社に参詣して、のろう人を模した藁人形を神木に釘で打ち付け、七日目の満願の日には、その人が死ぬと信じられていた。


この現代にあっては藁も、五寸釘も、暗闇もなかなか手に入りにくく、そんな恐しげな風習も消えてしまったようだ。

だが、今でも青森県十和田市の小さな村の入口には、萱で作られた二メートル以上の巨大な男女の人形を見ることができる。これは、村の人々が、外部からの病気や災いから逃れられるように、入ってこないようにとの願いを込めて立てられている。大正時代ごろまでは、県内のあちらこちらで作られていたそうだが、今ではほんのいくつかの集落に残るのみであると聞いた。


人形(ひとがた)はその歴史も古く、縄文時代の土隅まで遡ることが出来る。たとえ、それが、土や葉、板で、紙で出来ていたとしても、その人形に魂が宿り、人の身代りとなってくれる、さまざまな災難から守ってくれるという思い、無事に育ってほしいという気持ちは古くから日本人が、人形に対する共通した思いなのだ。

 

消えていゆく風習や行事が多い中で、例えば流しびなのように、各地で続けられている行事もある。
人間である以上、何かから救われたいという気持ちは誰にでもあるはずで、神仏に祈る、願いをかける。それは昔から変ることなく続いてきたのである。

消えゆく伝統も多い。人形に思いを託し、救われる。なんてことを信じる必要も現代人は感じないのかもしれない。いや、それとも、もう救われるなんてほどの軽いものではなくなってしまったのだろうか。

人形を考えるにつけ、救いがたい現代人のことが思われてならなくなってくるのだ。