何処から湧き出てくるのか?通りに溢れるオートバイの大群とクラクションの喧騒。その中を歩行者が横切って行く。ベトナムに着いて、最初に驚かされる交通事情だ。オートバイには2人乗りは当たり前、家族で3人乗り、5人乗りもある(勿論違反)。一番ポピュラーな交通手段がバイクなのだ。基本的に、交差点にも、横断歩道にも信号が無い。車は信号の無い交差点を突っ切る。通行人は何処でも横断できる。横断のポイントは同じ速度で歩くこと。横断中、急に走ること、立ち止まることは非常に危ない。バイクは歩行者の状況を見て避けてくれるし、車は停まってくれる。しかし、慣れるまでは、勇気のいる行為だ。

バイクの排ガスが路上にあふれ、ホーチミン市はそれ程でもないが、ハノイでは大きな防塵用マスクをして、バイクを運転している人がほとんどだった。余談だが、ベトナム女性は、ラブホに行くときも大きなマスクで顔を隠す(ハノイの若い女性ガイド談)。

 1975年4月30日、歓喜する民衆に迎えられ、ベトナム民族解放戦線(北ベトナム)の戦車がレスアン通りを進み、大統領官邸の正門に向かう。
 そして、正門の鉄柵を突破し、無血入城を果たした。「サイゴン陥落」の瞬間だ。かつて、解放戦線の勝利を伝える日本のテレビニュースでも、何度も見たシーンだ。

南ベトナム政権時代の1962年から4年をかけて建てられたこの旧南ベトナム大統領官邸は、1階は内閣会議室や応接室、宴会室、国書提出室、大統領執務室など並んでいる。上階は大統領夫人や家族のためのスペース。屋上にはヘリポートがある。

 地下は秘密の軍事施設で、ベトナム戦争中に使用されていた。大統領の司令室やベッドルーム、暗号解読室、放送設備、アメリカと連絡を取り合ったテレックスルームなど残されている。さらに地下に降りる階段から、逃亡用の地下通路に繋がっており、空港までの建設計画だった。厨房には、日本のメーカー製の調理用機材が置かれていた。


 ベトナム戦争時の取材カメラマンによる写真や実際に使用された爆撃機、戦車、大砲、爆弾など展示し、ベトナム戦争の歴史を綴っている。沢田教一さんがピューリッツァー賞を受賞した「安全への逃避」も展示されている。この日の市内観光のガイドは、戦争時が少年時代で、隣、近所の人たちが何人も目の前で死んでいった。その思いからか、アメリカの攻撃がいかに厖大であったか、そして悲惨で、非情で、どんなにベトナム人民を苦しめ、今、まだ、苦しめているか。彼は熱く語った。

 改めて衝撃を受けたのは、枯葉剤による甚大な被害だ。ホルマリン漬けの奇形胎児や奇形を負った人たちの写真が展示されている。手が短い人や爆撃で顔を削り取られた人に、街中で出会ったりする。ベトナム中部の地方には、枯葉剤の影響で畑に出来ない土地があり、また子供が地中の爆弾の鉄を探し、不発弾に触れて大怪我をすることもある。33年たった今もその後遺症に苦しんでいる。投獄システムの展示もあり、拷問器具も置かれている。

 前出の女性ガイドは、学校の歴史の授業で、戦争ドキュメンタリー映画が教材として使用されたが、残虐なシーンが多数あり、恐ろしくて見ていられず、眼を背けた場面も多々あったそうだ。


 近代的なデパートやショッピングモール、ホテル、レストランなどが建ち並ぶ、洗練されたエリアのメインストリートがドンコイ通りだ。レロイ通りには、フランス統治時代の建物も多く残り、街路樹がしげり、道路も幅広く、きれいに整備されている。フランス統治の時の都市計画がすぐれていたのだ。オープンカフェでコーヒーを飲みながら通りを眺めていると、ここはパリか?ウィーンか?と勘違いしそうだ。


 19世紀末にフランスが建てたゴチック様式のカソリック教会。57mの二つの尖塔は優美だ。教会内もシンプルで、ドームを支えるアーチが美しかった。ホーチミンについた日、夜の11時近くにこの前を通ったが、広場のマリア像を囲んで、ろうそくを灯し、ミサが行われていた。

 ベトナムでは結婚式を教会などで挙げないそうだ。人前式で披露宴は行う。少なくとも100人ぐらい招待するそうだ。しかし、記念写真の撮影には、教会を背景に使用する。カメラマンと機材や反射板を持った助手たちが、忙しそうに働いていた。


 初見は駅と間違えてしまいそうな建物だ。19世紀末にフランス統治時代に建てられた。建物の中央はシンプルなアーチ状の天井で、華麗だ。細かな装飾物がアクセントになっている。建物両サイドにショップがあり、美しいベトナム切手なども、展示されている。切手好きには魅力的なアルバム入りの切手セットが10万ドン位で売られていた。


ライトアップされた繊細さを感じさせる姿は、本当に見事だった。もともとはフランス人用に建てられたルネッサンス様式の建築物だが、現在は政府関係の施設として使用されている。中には、豪華で素晴らしい調度品が置かれているらしいが、残念ながら見学できない。この前の広場には、ホーチミンの銅像があり、記念写真のホットスポットになっている。



もともとは、20世紀初頭に中国人の豪商が邸宅として建てたフランス風のクラシカルな建物。入口正面には、骨董的な価値がありそうなエレベーターがある。1階は、企画展フロアーのようだ。左右それぞれのウィングで、2人のベトナム人現代美術作家の展覧会が行われていた。2階は、ベトナム人作家をはじめ、近隣諸国も含めた現代美術作家の作品を展示している。テーマに戦争が多く取り上げられている。3階は、古代からの彫像や陶器、発掘された遺物など展示されている。

地下にギャラリーがあり、現代作家のオリジナル作品が販売されている。気に入った絵(F8号)があったので、スタッフに値段を聞いた。3000米ドルだった。



 ホーチミン市から西北に70km、いくつかの農村を通り、広大なゴム農園を抜けて、クチ トンネルに到着した。昔、映画「インドシナ」で見たような大木のゴムの木を想像していたが、今は無い。枯葉剤で全滅し、それ以後に植林されたものだ。

戦争時、クチは広大なジャングルの真只中、カンボジア国境までは20kmという条件が、この地に地区軍司令部のトンネル基地が構築された理由とのこと。トンネルの全長は200kmに及び、内部は蟻の巣のように、多くの階層、通路に分かれている。サイゴン川の水中にも繋がっている。


枯葉に埋もれている入口を見つけるのは、至難の業だ。通常、目印には立ち木を利用し、その根元に入口は作られた。メタボの人は絶対に入れない狭さだ。入口の深さは1mぐらい、自分で入口の蓋にカモフラージュの枯葉を乗せて、もぐりながら蓋をする。出る時は、自分の体重を持ち上げる腕力が必要だ。


 穴は狭いし、真っ暗だ。腰をかがめないと通れない高さであり、仰向けに背中をするように通る低い所もある。60〜70cmの段差が在る所もあり、上がり下がりも大変だ。トンネルは掘りっ放しでも、充分な堅牢さがある土質だ。ビンさん(ガイド)が案内した客の中では、最長という距離をガイドの携帯電話の明かりを頼りに進んだ。出たところは、傷病兵を治療するベッドが置かれていた部屋だった。


 いろいろな施設があった トンネルから出ると休憩場で一休み、当時の主食だったタロイモとヤシ茶がサービスされた。タロイモはサツマイモとジャガイモの中間的な味で、美味しかった。
兵士たちは、日常生活を維持するために農作業をやり、収穫し、台所で食事を作り、食堂で食べる。米焼酎を作り、兵士の服を縫う縫製工場もあった。アメリカ軍の爆弾を地雷や手榴弾に再生し、また、罠用の竹やりをつくる。米軍が侵攻しそうなところには、地雷を埋め、高度な仕掛けの落とし穴など、罠をつくる。学校もあり、娯楽もあり、戦いが非日常ではなく、想像を超える豊かな日常の中で行われていたのだ。



 観光客用に営業している。短銃からライフルまで10種ぐらいの中から、好きな銃を選び、弾を買って、射撃場に行く。頬が火薬で焼けた指導員が親切に指導してくれる。70〜80m先の的を狙って撃ったが、的に当てるのは難しい。


 ホーチミン市から南西に車で2時間弱、メコン・デルタの入口、川辺の町ミトーに到着する。途中、昼食に「MEKONG」という庭の美しいレストランに寄った。素揚げされたエレファント フィッシュはテーブルで身をほぐして、野菜などとライスペーパーで巻いて、食べさせてくれた。美味しい、鯉の仲間らしい。それともち米に味をつけ、球状に揚げたライス ボールが面白かった。


 メコン川の中州に出来た島の一つ、タイソン島には、40人乗り位の船で渡る。溢れんばかりの水量で雄大なメコン川は、人と車を運ぶフェリーやフルーツを山積みした船が行き来する重要な交通路であり、漁師にとっては漁場であり、川に浮かぶ養殖場でもある。タイソン島には、20分ぐらいで到着する。バナナやドラゴンフルーツ、パパイヤ、スイカ、ジャックフルーツ、竜眼、パイナップル、マンゴーなどが一年通じて実を付けるという、タイソン島全体が果樹園だ。ベトナムの田舎では、1軒に1本はバナナの木があるという。ちなみに、南では稲作は4期作で、米はシンガポールなどへの主要な輸出品だ。



 ココナツ キャンデー工場は、工場といっても、約50坪のスペースにコンクリートが打たれ、トタン屋根があるだけの家内制手工業といった感じだ。ココナッツを絞る道具と煮込むカマドがあった。客が2人だけだったためか、手抜きで?包装作業を見せてくれただけだった。キャンディはココナツの素朴な味が良かった。
蜂蜜工場では、蜂の巣箱から蜂がいる巣を取り出してくれて、自分の指でなめてみる。蜂にあまり元気が無く、刺されることは無いらしい。ローヤルゼリーを盛んにセールスされたが不味かったので買わなかった。40cc位のビン入りが6本で50ドル。
 島民が民俗芸能を披露してくれるイベントがあった。果樹園のフルーツを食べながら、観賞する。各国の観光客に合わせ、その国の歌をレパートリーに入れているそうだ。日本人向けは、「幸せなら手をたたこう」だった。手を引っ張られて、前に出て一緒に歌った。アオザイを着た子供は可愛い。その一人はチップ要求係だった。ビンさん(ガイド)から、「全てインクルーズされている」と聞いていたので応じなかった。しかし、その子は帰りがけに振り向いて、笑顔で手を振って帰っていった。


島の奥まで進むと、ニッパヤシの隙間に水路が覗き、板切れ1枚の乗り場と小舟が現れた。客は4人乗りか?舟の前(母親)と後(娘)に漕ぎ手が乗り、舟を操り、メコン川の上げ潮と戦いながら進む。5,6mはありそうなニッパヤシに覆われて、薄暗い水路に光が漏れる。ルソーの絵画のようで、幻想的な風景だった。この水路にそって民家もある。庭の川岸に風呂があり、川に飛び込んで汗を流し、それから風呂に入ったりするそうだ。ニッパヤシのトンネルを抜けると、一気に視界が開け、光り輝くメコン川の本流にぶつかる。そこで、ボートツアーは終わる。



 いま、まさに、ベトナムは発展途上国だ。ハノイでも、ホーチミン市周辺でも、工業団地の開発が進み、外資系企業を誘致している。その中で、日系企業は一番の人気就職先になっている。ベトナムの男性は、昼間からぶらぶらし、井戸端会議をし、チェスを指し、路上喫茶店で過ごす。その分、女性が一生懸命に働いているそうだ。ということは、男性の余剰労働力があり、労働力も十分に確保できるわけだ。クチ トンネルを見、また、ガイドなどベトナムの人たちに接し、この国の人たちのアイディア力や器用さ、真面目さ、勤勉さ、忍耐力など、強く感じさせられた。日本人より、華奢で小さな体つきと相俟って、何かしてあげられる事があればと、考えさせられてしまう。まあ、気楽な観光旅行でも、ベトナム経済への貢献の一助にはなるだろう。

旅人●中西祥司
2008年4月に株式会社 メディコマックを設立、代表取締役に就任し、メディカル コミュニケーションとマーケティングのコンサルテーションを主な仕事にしている。また、来年のグループ展開催に向け、絵画作品を制作中。