サンクトペテルブルグ(レニングラードと聞くと、ちょっと懐かしい気がする)はヨーロッパに大いなる憧れを持ったピョートル1世が、1703年にネヴァ川の河口、海に面したこの地に建設した『新しい』都市である。
石造りの重厚な建物が並ぶこの街は、ロマノフ王朝の変遷、革命、第二次世界大戦による破壊、ソビエト崩壊と歴史の荒波をくぐり抜けてきたせいか、ヨーロッパの古都に劣らぬ渋いオーラを放っている。
 ネヴァ川のほとりにある豪華な宮殿美術館、「隠れ家」という名を持つエルミタージュで過ごす6時間。私にとって今回の旅、サンクトペテルブルグでの最大の楽しみだった。
川に面した入り口から入館、わくわくのスタート。
 この美術館は、冬宮・小エルミタージュ・旧エルミタージュ・新エルミタージュ、さらにエルミタージュ劇場、以上5つの建物からなる複合体である。とにかく広い。収蔵品は300万点を越えるという。
 ピョートル大帝の娘であったエリザヴェータ女帝が1754年に冬宮の建設を開始。
女帝は完成を見ずに世を去り、次に即位したのがピョートル3世。後に皇妃に帝位を追われるのだが、この女帝こそエカテリーナ2世。彼女が建造物を増やし、エルミタージュと名付け、エネルギッシュに美術品の収集を始め、今日の美術館の礎となるわけである。
館内でガイドブックを売り歩く人がいる。
日本語版1冊250ルーブル(円払いもできて1000円)。海外で購入する日本語ガイドブックにありがちな、翻訳調の摩訶不思議な文体ではなく、実に読みやすく書かれており、写真も多く、読み物としても充実している。
これは、お薦め!
いよいよ「大使の階段」を上り見学のスタート。

 飾りっ気のない展示室に所狭しと西洋名画が掛けられている部屋に通される。しかも、撮影禁止。ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、マチス、ゴーギャン…日本だったら充分、企画展が開けるだろうというくらい豪華なラインナップ。
これらの絵は、「第二次大戦末期、混乱のヨーロッパから、人類共通の美術遺産を守るために、ソビエト兵士が命を懸けて保護し、ソ連に搬送してきた作品群」ということになっている。当然、返還要求が出ている作品達である。なんとも複雑な気分で鑑賞。

これらの作品の存在は、熊谷 独(くまがい ひとり)著、「エルミタージュの鼠」にも書かれている。エルミタージュから「非公式に」作品を買い取った日本商社が、実は、交渉にあった館員は偽者、作品も巧妙な贋作と知り、美術館に忍び込んで本物を盗み返す、という奇想天外なストーリー。リトアニア公使だった杉原 千畝氏の生前のお姿も登場する。
実際に、街の様子や美術館の造りがわかってから読み直してみると、一層面白かった。

 豪華な宮殿建築の展示室をいくつも通り、エカテリーナ女帝の「隠れ家」、小エルミタージュへ。シャンデリア、モザイクが見事な床やテーブルに目を奪われる。多くの寵臣がいたとされる女帝を、最も近くで支えたポチョムキンから贈られた孔雀のからくり時計が一番人気。一週間に一度しか鳴かないそうで、そうと聞くと、一層「見たい・聞きたい」が募る。
 ここを出ると、新エルミタージュと旧エルミタージュ、冬宮を行ったり来たり。
 バチカン宮殿のラファエロ作品をコピーさせて造らせた「ラファエロの回廊」。みな違う絵なので、時間があればじっくり見たいところだが、先は長い… 
イタリア、ルネッサンスの傑作へ。

 聖母子の絵の前にはいつも行列、手を組み十字を切る姿も見られる。

ティツィアーノはこの題材で数枚の作品を残している。なかでもこの2枚はよく似ているが、背景や着衣が少し違う。
つい最近来日したゴーギャンの「果物を持つ女」(1893年)。
この作品は、ガラスケースに入るでもなく、ついたてに無雑作に展示されている。しかも、すぐ左に開放された窓、陽光も外気もあたる。大丈夫なのだろうか、と思わず心配してしまった。
この作品も含め、冬宮の3階には19〜20世紀に活躍したお馴染みの作家の作品がたくさん。
日本人観光客も目立つエリアだ。

 ピカソは大好きな画家なので、パチリの回数も増えてしまう。
 次のお目当てはマティス。「ダンス」と「音楽」、2枚の大作が向かい合わせの壁に掛けられている。「動」と「静」、視線はどうしても「ダンス」に向いてしまう。この絵も、同じ構図のものがある。
「エルミタージュで何を見たの?何が良かった?」と尋ねられたら、返答に困る。たくさん見た、何でも見たと答えるしかない。建物そのものが、美術品である。天井・床の寄せ木・客間・シャンデリア、すべてが展示品、酔ってしまった。

昼食は館内のカフェテリアで。ミュージアムショップも覗いてみる。日本の美術館と違い、あまり一般大衆受けするものは置いてなかったが、絵本を一冊購入。エルミタージュに収蔵されている作品をアルファベットごとに紹介している。ローマ字版とキリル文字版がある。内容は若干異なるが、ここはやはりキリル文字版を。当然読めないけれど…
エンジェル、傘と書いてあるのだろうと予想はつくが、お侍は?

 休憩の時に、本を売り歩いているおじさんに話し掛けられた。日本の2千円札・旧千円札は、銀行で日本の通貨と認識されず、ロシアのルーブルと両替できなくて困っている、手持ちがあれば新しいお札と取り換えてくれないか、と。ヨーロッパ系のお客さんにまで説明を始め、盛り上がっている。おじさんは、旧千円札10枚を1万円と取り換えて欲しかったようなのだが、2千円札で勘弁してもらう。でも、何度も何度も振り返りながらThank youを繰り返す。一緒に盛り上がっていたヨーロッパおじさんも「良かった、良かった、今日の彼はラッキーだった」と喜んでいる。みんな、いい人達!
 見学を終えて、入り口とは反対側の、宮殿広場側に出る。夏の日差しを避けて、塔の日陰に一列に集う人々…みな、疲れよりも満足の表情に見える。
 たっぷり6時間。そのほとんどをローカルガイドさんが、主要な作品の解説をしながら歩いてくれた。複雑な造りの館内を迷子にならずに、効率よく見学できた。感謝、感謝。
折に触れ思い出すであろうこの一日、私の宝物になった。
文:茂木 雪

日本ではこんなことできません…