昼12:40、ディベダ河の国境で、グルジアからアルメニアに北から入る。
一転して、急峻な、乾燥した地形になった。
夏暑く、冬は極寒だろうことが容易に想像できる。崩れ落ちそうな山肌、深い谷。
赤茶けた銅山、製銅所のある廃墟のような町アラヴェルディ。


そんな山中の渓谷の縁に、976年建築の「アフパット修道院」がある。私にとってはじめて見るアルメニア教会である。
険しいところに作られるのは信仰のなせるわざか。世界遺産。
礼拝堂の窓は東にのみあいている。フレスコ画がある。図書館では本は石の床下に収納する(?隠す)。学びの場所、ユニバーシティ・コリドー。
そこには十字架を刻みこんだタテ2mくらい、ヨコ1.8mくらいの石(カチュカル)がたくさんたてかけてある。ひとつとして、同じ模様はないと。
低く刻まれた底面が宇宙、十字架が地球、まわりの縁が水、へりの下が火、と宇宙の四要素をふくむ。

修道士(英語でmonk)は独身の僧侶のことで、歴史上おおく殺された。これに対し妻帯の僧侶(priest)は殺害は少なかったとか。
 周辺の深い渓谷の対岸の上になだらかな草原がひろがり、河岸段丘集落がかたまる。
渓谷から水道か天然ガスかのパイプが何百mもかけのぼっている。きびしい生活条件だ。
信仰が必要なことがよくわかるような気がする。
笛を使ったアルメニア民族音楽がバスの中に流れる。一瞬、南米の民族音楽かのようだ。

ブラック・チャーチが有名とかいうロリの町。
 遠くのレルモントヴォ村。少女が道路で人参を売っている。二束1(us)ドル。この村は、1812年、ロシアによってフィンランド近くから強制移住させられたロシア民族の一部マラカン人の村だ。
キリスト教徒ではない。
スパタン村、ディリジャン町。このあたりは避暑地で、ショスタコーヴィチなどが滞在、映画製作所もある。
セヴァン湖。
標高1900m。南米チチカカ湖に次ぐ高さ。
その深い紺色の水面により「コーカサスの真珠」といわれる。首都エレヴァンの北60 kmで、国民の憩いの場所。同行した仲間(服部芳樹氏)が日本から釣りざお持参、みごと体長25cm位のフナに似た魚を釣り上げた。
 湖に突き出た半島には、二つの修道院、大統領別荘がある。湖を撮影したカメラのフラッシュに、遠くから気づいた大統領別荘の警備兵が駆けつけてくる。銃か何かのスコープではないかというわけだ。緊張している。そのさわぎにこちらが緊張してしまった。小さい国でも国家のトップレベルである。後日、人口380万人のこのような小国でも、首都上空にジェット戦闘機を二機、編隊をくんで金属音とともに低空飛行させていた。
 夕暮れのセヴァン湖(写6・7)は、刻々、まばゆいばかりの紺碧色からダークブルー色まで、周辺の山々の千のひだの陰影の変化とともに表情を変える。日が西の山にかくれると後光がさした。

セヴァン湖から南下して首都エレヴァン。
一転して華やかな都会。過酷な歴史をもつ国だが、「午前2時までコーヒー・ショップのテーマパーク」といわれるほどにぎわう。


首都エレヴァンから南に30km、ホルヴィラップ修道院。
ここは、ノアの箱舟伝説のある現トルコ領のアララット山のまん前である。


アララット山は標高5105m。富士山の宝永山にあたる小アララット山も3925mである。
ここからアララット山のほうに約1km、そこにある河(アラクス河)がトルコとの国境で、トルコ内にある基地の見張り塔が見える。が、なんとそこ(バシュ村)にはNATO軍(米軍)が駐留しており、その銃口は、こちらアルメニアを向いているとのこと。トルコはイスラム教、アルメニアはキリスト教国であるにもかかわらずである。アルメニアは、アゼルバイジャン、グルジアよりはロシアとの提携が深い。
さてホルヴィラップ修道院である。
ここは、アルメニア正教の巡礼地の一つである。
アルメニアにキリスト教をもたらそうとしたグレゴリー啓蒙者が、国王トリダット三世によってここの地下60mの井戸の底に12年間、とじこめられた。その後国王の狂気をなおしたことによって、またローマの進軍を防ぐためキリスト教徒を必要としたことから、グレゴリーはゆるされ、紀元301年、国王はキリスト教に改宗し、アルメニアは、ローマ帝国にさきがけること90年、世界最初のキリスト教国になった。
グレゴリーはこのあと、エチミアジン大聖堂を建て、グルジアにも布教にでかける。
グレゴリーはどこからきたか?
トルコのカッパドキアからである。
のちのグルジアの聖ニノもカッパドキアからきた。当時カッパドキアはなんだったか、新しい興味がわいてくる。


聖グレゴリーによって4世紀初頭、最初の基礎が築かれ、いまある四つの塔(キューポラ)は、5世紀、7世紀から17世紀にわたって付け加えられた。キリストを磔刑にした槍(Holly Spear)が保存されているという。
2001年ローマ法王ヨハネス・パウロ2世の歴史的訪問の際のモニュメントが、南正門にある。
またすでにキリスト教はその発生のときから、12使徒のうちの二人、バルトロマイとタダイにより、アルメニアに入っていたそうである。
 アルメニア教会は、ローマカトリック、ギリシャ正教ともちがう独自の道、原始キリスト教に近い道を歩んできた。クリスマスもない。
エチミアジン大聖堂は、首都エレヴァンの西10kmにあるアルメニア教会の総本山である。
アルメニア正教の座主はカトリコスとよばれ、その居住館は大聖堂の裏手にある。
その左横の建物は一般には入れないマノウジャン・ミュージアム(旧館博物館)であるが、特別入館できた。
二階建てのこの館には、歴代カトリコスや聖人の肖像画、衣服、杖、王冠、世界中から贈られてきた家具、貨幣、手紙類を見ることができた。イタリアから運んだ大理石がふんだんに使われ、カナダの大篤志家(信徒)アレック・マヌキアン氏の写真が飾られている。
エチミアジン大聖堂の手前2kmのところにリプシマ教会がある。
ここも巡礼の地である。
リプシマというローマ帝国・ディオクレティアヌス帝の迫害を逃れてきたキリスト教徒の女性が、改宗前のアルメニア国王との結婚をこばみ殺害された地に、約300年後の紀元618年に教会が建てられた。ここで、アルメニアのミサ曲のCDを2枚買った。
ゲガルド修道院。
エレヴァンの東35kmにある洞窟修道院である。ここも険しい渓谷の底にある。
4世紀から7世紀につくられた。カタコンベでもある。
隠者がここで思索し祈ったのであろう。いくつかの部屋が洞窟の中にくりぬかれ繋がり、天井うらというか、洞窟内ロフトもあり、光はどこからくるかわからないほど僅かしかたどりつかない。近くできこえている声もどこで発せられているか?
重々しい祈りのミサはどこで歌われているか?
ガルニ神殿。
ギリシャ・ローマ建築風だ。三つの文明が刻まれているという。この一帯は新石器時代からの居住あとがあり、紀元前8世紀の楔(くさび)文字が考古学者によって発見されている。それにしても、断崖絶壁のようなところによくこうしたものを建築するものだ。
思索と信仰がなせるわざだ。
アルメニアの農家を訪れた。
エチミアジンの西15kmの、「朝日グラフ」にも掲載されたアルタシャン村のサジュヴァさん家である。
彼は1956生れ、会社に勤務した後独立、1haの農地にスイカ、キューリ、トマト、あんずジュース、さくらんぼ、を栽培している。収穫物はエレヴァンの農産物市場に50%、仲買商人に50%の割合で販売し、50羽の鶏も飼っている。これは卵を商品として販売するため。
住宅も自分で建築した。
長男は1985年生まれ、父親を尊敬している。
さて、エレヴァン市内にもどる。
エレヴァン市はバクーやトビリシの旧市街のような迷路ではない。共和国広場〜オペラハウス広場〜カスケードをつらぬく直線と、各放射線状の街路とをくみあわせたコーカサス随一の都市計画された都市である。
1924年、アレクザンダー・タマニアンが原型基本プランを描いた。
アルメニアといえばコニャック(ブランディー)である。20世紀前半、この国の将来の産業をみすえた先覚者がフランス、モンペリエにわたり、勉強して、この国にもちかえり、みごと成功させた。
市内を散策。商店の人が「日本人は魚を食べるって本当か?」、「行ったことはないが新幹線は知ってる」と話した。「愛知博」の旗もどういうわけか、あった。
アルメニアは、紀元前6世紀より建国された古い歴史をもつ。だが、王国をきずく一方、ペルシア、イスラム、トルコなど他民族の侵略をうけ、19〜20世紀にも過酷な歴史がある。しかしそれを切りぬけるたくましさも国民性となった。
アルメニア商人や、世界に散在する芸術家、音楽家、政治家などにそれを見る。
アルメニアは、エジプト、メソポタミア、インド、中国に次ぐ歴史の宝庫であることを発見した。


1944年5月生まれ。出身:早稲田大学政治経済学部。
映像プロダクションを経て、現在、屋外広告会社:アポロ広告株式会社経営。
http://www.apolload.com/
千葉県屋外広告美術協同組合理事長。
趣味:テニス、スキー、旅行、Major League観戦。
1995年、アメリカ・サンフランシスコからニューヨークまで車で北米横断旅行する。