グルジアといえば、ワイン。
いまはそう言える。
だが、訪れる前は、若い頃はスターリン(ソ連共産党書記長)の国。黒海にバツーミ、ポチ、という港がある国。
最近では大相撲・幕内黒海関の国。黒海関の両親がグルジアで衛星テレビで観戦していると聞いて、そんなに進んでいるの?というイメージであった。
だが、訪れたあとのいまは、カヘテイ地方のワインの国。美しい首都トビリシの国。世界で2番目に古いキリスト教の国。と、すらすら言えるようになった。
まずは、ワインである。


グルジア東部で国境を越えると、アゼルバイジャン時間より時差を1時間後れにする。
 アゼルバイジャンの乾燥地帯(ステップ気候)から一転、葡萄畑のみどりの多い景色にかわった。
そこは、世界的に有名なグルジアワインの産地である。キンズマラウリ、ツイナンダリ、ピロスマニ、………。
まず、ガウアジという村の農家の葡萄棚の庭の下で昼食。

主人は30歳代の眼がまんまる、いかついが笑うと人懐こい笑顔になるアヴト・ククトシュヴィリさん。
これまた、まんまる両眼の3歳のお嬢ちゃん、ETOちゃん。
 ちなみに、グルジア語では、住所を書くとき日本語と同じように、県、郡(市)、町、字、……の順序で書くようだ。
Kakheti,Kuareli region,Village Gauazi………のように。英語などと逆である。
さて、ワイナリー(ワイン工場)である。
 それは、シャヴァシャヴァデズ家という大邸宅の中にあった。この家は由緒があり、18世紀の当主ガルセバンはロシア・エカテリン女帝の息子にしてグルジア初のロシア滞在大使。その息子アレクザンダーは反ツアーリ活動家にして最初のグルジア・ロマン派詩人の一人。詩人レールモントフも訪れたことがある。その息子デイヴイドは、蛮族に23人の子女を誘拐され、その身代金調達のために屋敷を抵当にいれ人質をもどしたが、抵当は流れ、ロシア皇帝アレクサンダー3世の所有となった。
いまは博物館として公開、ホテルも3つある。庭園はイギリス風(なにがイギリス風かよくわからないが)で、古色蒼然たる樹木がひろがる。
大きなワイナリーはその一画にあった。

ワインセラーに入ると、ひんやり暗く、眼が慣れない。懐中電灯をあてると、白いカビの泡を噴いたワインのたるが整然と、奥へ奥へとやすんでいる。一番古いのは、1814年製だそうだ。
さっそく宴会場で赤ワインを試飲。
ガウマルジョース。(乾パーイ)
おいしいー。あまーい。なんというブランドかな。
ツイナンダリ赤。 おお。
「キンズマラウリはあるのですか?」ない? 時期がちがうのかな?
だが、これはとんだ大失態だった。キンズマラウリはここではなく、ちがう町の(クヴァレリという町の)別の経営で作られていることを帰国後、知った。大変失礼な質問をしてしまったものだ。

たしかにここは大ワイナリーではあった。
だが、この地方には何百種もの異なったぶどうが栽培され、村ごと、家ごとに異なったブランドをもっている。
ワインの歴史は西欧フランス等よりこちらの方が長い。


そのカヘテイ地方の中心地、テラヴィ。ゲストハウスの女将さんと言葉の交換。

この地を治めたカヘテイア王国のイラークリ2世のBatonistsikhe (バトニスツイヘ)要塞と騎馬像もみた。この地方には、たくさんの修道院と古代からの町々がひしめいている。グルジアにキリスト教をもたらした聖ニノの埋葬地も近い。
バスが、トビリシに入る手前の郊外で聖ニノ教会が見えるといわれたが見落としてしまった。しかしそれは古都ムツヘタへたどりつけば、十分穴埋めされた。
町に入るまえ、右側の山上に城砦風の教会が見える。
「シュヴァリ聖堂」である。
こここそ、4世紀、トルコのカッパドキアから布教にきた聖ニノが、十字架を掲げた場所といわれる。建物は6世紀に建てられ、グルジア人にとっては神聖なる場所中の神聖なる場所である。
石造り、素朴、飾りの少ない、世界遺産である。
この山上からはムツヘタの町と、二つの河川の合流がよく見える。
コーカサスから流れでた川(右)と、トルコ・アナトリア高原からきた川(上)である。
合流してムツクヴァリ河となり、トビリシをへて、アゼルバイジャン・カスピ海にそそいで行く。

ムツヘタは古い町だ。
町並みはユネスコの世界遺産である。
紀元前4世紀から紀元後5世紀まで古代イベリア王国(現在のグルジア)の首都にして、キリストの血染めの聖衣が遠くここに埋められたという伝説があった。
その地の上に、聖ニノが4世紀、「スヴェテイ・ツホヴェリ大聖堂」を建てた。聖ニノによって国王はキリスト教に改宗し、世界史史上2番目のキリスト教国となった。
現在の建物は11世紀に再建されたものだが、グルジア最古の教会にして、歴代イベリア国王の埋葬地である。
中庭の城壁の上に、遠く、さきのジュヴァリ教会を望める。
グルジアはカトリックやギリシア正教やプロテスタントが生まれるまえの、キリスト教の国である。
ソ連初代共産党書記長、ヨシフ・スターリンは、若いころ、神学学校の生徒だったが、敬虔なるグルジア人だったればこそか。
そのスターリンの生地、中部グルジアのゴリ市まで足を延ばす。ムツヘタから西へ60km、人口は4万6,680人。
スターリン博物館、入場料50セント(米ドル換算)。
内外に強権、恐怖政治、反革命を展開したが、失脚して死んだのではないので、地元では英雄である。ネーム入りの野球帽まで売られている。
粗末な生家はここに移築され天蓋がある。飛行機嫌いで、移動手段は専用の軍用列車でおこない、その列車が展示されている。
ヤルタ会談で、英国のチャーチル首相にふるまい、チャーチル首相が絶賛したワインが、さきに述べた、キンズマラウリ、とのことだ。

スターリン博物館の庭先には、野良猫の親子がいた。
そのスターリンがゴリを出ての初めての世界、それが、トビリシである。
 古くはテイフリスとよばれ、マルコ・ポーロが「東方見聞録」で「絵に描いたように美しい」と書いた。ムツクヴァリ河の狭い両岸に細長く発展、ここはヨーロッパのどこかの街のような錯覚をおぼえる。
キリスト教国教化のあと侵入したペルシアを駆逐したワフタング・ゴルガサリ国王が、5世紀後半、首都を先のムツヘタからこの地トビリシに移した。
河の左岸、メテヒ教会に行くと、この国王の騎馬像に出会う。騎馬像はムツクヴァリ河の断崖をへだてて、対岸の右岸を見つめる。
対岸は旧市街で、ユダヤ教のシナゴーグ、イスラム教のモスク、ロシア正教の教会、グルジア正教の教会が混在する。
ハマム(温浴場)もみえる。

さらに眼を上に転ずると、この街トビリシを長きにわたり守ってきたナリカラ要塞の威容がせまる。

なにせこの地は、東西交易、シルクロードの一部で、7世紀から12世紀までイスラムに侵入され属国化。1121年より約100年間、独立を取り戻し、トビリシの黄金時代をきずくも、13世紀以降、モンゴル、チムール、17,18世紀にはペルシアが侵入。ナリカラ要塞は、新しい支配者にとっても必要な要塞であった。
今日見る広い街路、図書館、学校、劇場などは19世紀はじめロシアが到着してからのことである。しかしロシアはグルジアを尊重しない。
その後ソ連邦へ編入され(1920年)、社会主義化される。しかしいち早く独立し(1991年)、内戦、大地震(2003年)により、市内には廃墟ビルも多いが、コーカサスの真珠のような町は維持されてきた。

< グルジア国について >

大統領 : Mr. Michael SAAKASHVILI(ミハエル・サアアカシュヴィリ)
面 積 : 国土面積は、約70,000平方Km
人 口 : 約5,500,000人
通 貨 : Georgian - Lari ( ジョージアン・ラーリ) < 目安;1US$ = 2GEL >
言 語 : グルジア語 (33文字で形成され。最初の文献は4世紀)
宗 教 : キリスト教 (337年に定められた)
特産品 : ワイン、スパークリング・ワイン、ブランデー、紅茶、緑茶、ミネラルウォーター、ジャム、ウォールナッツ 等々

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1944年5月生まれ。出身:早稲田大学政治経済学部。
映像プロダクションを経て、現在、屋外広告会社:アポロ広告株式会社経営。
http://www.apolload.com/
千葉県屋外広告美術協同組合理事長。
趣味:テニス、スキー、旅行、Major League観戦。
1995年、アメリカ・サンフランシスコからニューヨークまで車で北米横断旅行する。