訪国前の第一イメージは、コーカサスこそ地の果てか、というものだった。
中国からは直行便があるようだが、日本からはモスクワ経由からしか入国できない。
ともかくユーラシア大陸中央に位置し、黒海とカスピ海に東西を囲まれた国々である。北は5000m級の険しいコーカサス山脈でロシアと接し、南はイラン、トルコの乾燥地帯と接する。
ロシアは伝統的に中近東への道をこの山脈越えに求めてきた。その為ここに住む人々と軋轢があった。一方、南からはペルシア(イラン)、トルコ、のちには西欧英仏がロシアの南下を阻止しようとしてきた。
東西のシルクロード(絹の道)もここを通る。シルクロードは一本だけではない。
古来、国際政治・軍事・商業の狭間で独立し、翻弄され、古い伝統ある独自の宗教・文化のスタンスを維持してきた国々である。
それがアゼルバイジャン、グルジア、アルメニアの三共和国である。

アゼルバイジャンといえば、首都バクー。
バクーといえばカスピ海に林立する油井。最近でこそ中近東の石油の陰に隠れてきたが古くからの石油産出地(国)である。

実際、首都バクー周辺は油井が林立。
だが稼動していない廃墟の油井は放置、打ち捨てられているものもあり、これにはショックを受けた。

一方で、カスピ海の海中8000mの深さから採掘する巨大石油プラットホーム(国営)がこの3年間で6基造られた。
その石油はロシア経由でなく、グルジア・トルコ経由のパイプライン(BTCパイプライン)によって、2006年7月よりトルコの地中海沿岸の港町ジェイハンから直接西欧に輸出されはじめた。アゼルバイジャンのロシア離れを象徴する事象である。
経済も上向きで、郊外にはニューリッチ層の住宅街が形成され、バクー南部のカスピ海沿岸にはこれらの人々向けプライベートビーチが並ぶ。(Sixov Beach)
成長率は世界有数。日本以上とのこと。
だが、とにかく規模が小さ過ぎるとのことだ。
カスピ海の水は塩辛くはなかった。そしてカスピ海は巨大である。どのくらい巨大であるか実感できない程だ。勿論対岸などは見えない。対岸はイランや、カザフスタン共和国や、トルクメニスタン共和国のはずであるが。
ここから流れ出る河川は無く、世界最大の面積を誇る湖。大西洋からカスピ海まではヨーロッパ、カスピ海から東がアジアだということ。ということはアゼルバイジャンはヨーロッパ最東国なのである。カスピ海にも嵐はあるのだろう。だが、バクーの沖合いせいぜい3km程度までのクルーズでは、波は穏やかである。水はキレイとは言えないし、石油の油膜が至る所に浮いている。

海から見るバクーは、古い油井群(想像していたほど高くない)、石造りの家、明らかにソ連時代風のビル、またそれ以後の最近のビル、その背後の稜線のなだらかな丘、丘の上の油井等によって特徴付けられる。
丘の中腹には、かつてこの国を牛耳ったソ連共産党指導者のキーロフの巨大な像が臨まれたはずだ。
かわってそこには1990年、ソ連からの独立の犠牲者や、1994年対アルメニア戦:ナゴルノ・カラバフ戦争の犠牲者を祀る「殉教者の小道」がある。故人の肖像写真が刻まれた石碑の立ち並ぶ厳かな道を歩くと、この国の新しい歴史、新しい愛国心を垣間見たような気がした。
この丘の下には旧市街がある。
14〜15世紀のこの地の支配者であるシルバン・シャフ・ハーン宮殿。
キャラバン隊(隊商)の宿泊所たるキャラバン・サライ。
ハマム(温浴場)。
高さ28mの石造りの要塞(乙女の楼)。ガイドなしには迷路同然というが、ガイドの後を行けば難なく旧市街を出ることができた。
バクーの東、ビナ国際空港の近くにゾロアスター教の「アテシュギャーフ」拝火教寺院が遺る。

ゾロアスター教は、紀元前7世紀頃ゾロアスターを教祖として生まれた火を崇拝する宗教である。古代ペルシアの国教にもなったがイスラム教の登場によって廃れた。寺院には地表から永遠に燃える火が見える。この国は天然ガスも豊富で、天然ガスが自然に噴出する場所に寺院が作られた。
つまりご神体は天然ガスである。


マンマンデイというバクーの北郊外でも、寺院こそないが地表の裂け目から火が燃えさかっている。これも天然ガスに自然着火した火で温度は約800℃。

さすがに現在ゾロアスター教徒は皆無らしい。この寺院はインドの信者によって営まれている。アゼルバイジャンの国民はイスラム教徒が大半。シーア派7割、スンニ派3割という構成。中近東諸国に比し両派とも穏健とのこと。
バクーから陸路、北西に向かう。
緑なす森林はない。
草原、荒野、瓦礫地、潅木帯が交互に繰り返される乾燥した半ステップ性気候。牛の大群が道路をふさぐ。
車両は奇妙な音のクラクションを鳴らす。それでも避けない。

マラザという町の郊外、標高770mのデリババ砦。
700年前までこの国の首都だったシェマハという町にある珍しいモスク「金曜日のモスク」。なぜ珍しいかというと、モスクにつきもものミナレット(塔)がない。
「シルバンゲル・レストラーニ」というレストランで昼食。
ゲルとは湖の意味なので、近くに「シルバン湖」という湖があるのだろう。
この道もシルクロードの一本だ。
シェキ。乾燥したステップ地帯に緑なす水量豊富を思わせる町が忽然と現れた。それがシェキという町だ。
命の源泉はコーカサス山脈から駆け降りてくる河川である。半砂漠の地形のバクー周辺から北西へ約200km、対照的な緑なす地形である。
くるみの木、ポプラ。
町並み、山並みはどこか秩父を思わせる。

「世界遺産になっても良い程に相応しい町」だとのこと。世界遺産指定を世界中が欲しがる風潮の中でこの町はそれを求めない。そして、1761年に建てられた「ハンの宮殿」が在る。
キャラヴァン・サライに泊まるはずだったが、ドイツの映画撮影隊が押しかけて我々はシェキには泊まれず、80km東に引き返したガバラという町の山中のホテルに泊まった。

廊下の扉を4歳くらいと6歳くらいの現地の子供達に譲ると、譲られたことが無いのか又は驚いたのか、彼らは夕方も夜も次の朝も嬉々とし、私にまとい付いて離れない。もう一回やってみてくれ、という訳である。
マテイン・シャリーロフという20代後半らしい青年は言葉を教えてくれた。

(コブスタン遺跡の黒髪の青年はサローガと教えてくれたが、これは方言か?)

等である。


ここのホテルの裏、両側から下りる山並みを額縁にして、白雪を冠った東コーカサスの頂上の一つが見えた。
またシェキの町に行く。
1932年創立の絹織物工場がある。従業員150人、うち女性従業員が90%。5Km程郊外の村から来ている。織機はロシア製、150台。桑は近隣で生育している。生糸にして織られた絹布は、トルコや中近東のドバイに輸出されている。
絹織物。やはりここは絹の道、シルク・ロードなのだ。そして古代アルメニアの首都。それは紀元前のこと。日本の歴史より古い。
シェキを後にしグルジアとの国境に向かう。
また乾燥した半ステップの景色に戻る。
国境まで40kmのザガタラという町で、日本へ携帯電話から電話をかけた。よく通じる。Nokia製だ。
バラケンという町を過ぎ、14時国境検問所に入り、14時33分グルジア側の検問所に入った。

〜(2)グルジア紀行に続く〜


1944年5月生まれ。出身:早稲田大学政治経済学部。
映像プロダクションを経て、現在、屋外広告会社:アポロ広告株式会社経営。
http://www.apolload.com/
千葉県屋外広告美術協同組合理事長。
趣味:テニス、スキー、旅行、Major League観戦。
1995年、アメリカ・サンフランシスコからニューヨークまで車で北米横断旅行する。