2007年元旦はビルマ(ミャンマー)のモールメン(モーラミャイン)で迎えた。ロスで食品貿易会社を経営する元陸軍主計少尉のビルマ再訪のエスコートである。 北海道足寄町出身でアメリカに豆腐を売った日本企業の駐在ビジネスマンも同行した。 ラングーン(ヤンゴン)からモールメン〜ムドン(捕虜収容所跡)〜タンビュザヤ(泰緬鉄道終着地)まで行った。

早朝、モールメインの女子高校訪ねた。 その裏山で英軍の殺傷爆弾が戦友の首を吹っ飛ばした現場は60年前とほとんど変わっていなかった。

彼は戦友の霊に線香を手向けた。
私はビデオ撮影した。

マイクを向けると「私の身代わりになってくれたように思えて・・・」と語ったところで彼は絶句、嗚咽した。

<陸軍主計少尉のセンチメンタル・ジャーニーは青春へのレクイエムだった>
そんなドキュメントをつくろうと考えている。


ビルマは国連指定の最貧国、東南アジアでは最も近代化が遅れている。
仏僧が毎朝、托鉢に歩き、貧しい人々が必ず喜捨する。
幹線道路脇にボウルのようなものを持って立っている人が目についた。

お金を集めてお寺に寄進するボランティアだとカレン族出身のビルマ人ガイド、ラーさんが説明してくれた。
ラーさんは日本語がうまい。

明るい愛嬌あるビルマ人で日本へ行ったこともある。なんとラングーン中央のショッピング・モールに小さなみやげ物屋を経営している。その店で小さな象の彫り物を買った。

全国いたるところにあるパゴダ(寺塔)は金色に輝き美しい。ラングーンにある有名な金箔のシェダゴン・パゴダは2500年の歴史を誇る。100メートルの巨大な塔が夕日に輝き荘厳な光景である。

瞑想に耽る仏僧や市民の姿は日本では見られない。周囲を64の小パゴダが取り巻いている。



もともとビルマは資源に恵まれた農業国でコメやゴムを輸出していた。敬虔な仏教国で社会全体が悠然としている。スピードに追いまくれられている日本には学ぶものがある、と痛切に思った。

しかし地方の村へ足を踏み入れると民衆は未だ裸足かビーチサンダル、水道、電気の無い家も多く、衛生状態は最悪、 農民の運搬手段は牛車が主だ。古いトラックを改造したバスに乗客がすずなりにぶら下がっている。
1977年、ネウイン軍政下のビルマを取材したことがあるが全く変わっていない。30年間、時計の針が止まってしまったような国である。


一方で首都だったラングーンは90年代に入って中国に倣い、タンシェ政権は鎖国を止め経済開放政策をとった。

外資を導入したからホテルや高層ビルがどんどん建っている。ラングーンの中心街で米国風高級スーパーが賑わっていたのには驚いた。

日本は南機関という特務機関でビルマ独立軍を育て彼らとビルマに侵攻したが、約束の独立を大本営が認めず、 アウンサン将軍ら独立の志士らに反乱されたという歴史がある。

日本軍が教えた悪しき空疎な軍人精神が今もなお国家指導者の一部に生きていて、ビルマの近代化を阻害しているような気がした。

1991年にノーベル平和賞を受賞した民主化の指導者、アウンサンスーチー(アウンサン将軍の娘)さんは軍政下、3度目の自宅軟禁中である。

1990年に総選挙を実施したらアウンサンスーチーさんのNLD(国民民主連盟)が485議席のうち392議席を獲得、圧勝したが、軍政は政権移譲せず居座り続け、逆に難癖をつけて民主運動を弾圧した。

中国に近い古都マンダレーでは中国からの投資が急増し、ビルマの“中国化”が始まり問題となっている。タイ最北端の町、メーサイとビルマ側の町、ターチレイは交流が活発でタイに出稼ぎに国境を越えるビルマ人と珍しい少数民族の地が人気の観光客がビルマに入る。

私が30年前、タイのチェンマイまで行き、麻薬の原料、ポピーの栽培で有名なタイ・ラオス・ビルマ国境のゴールデン三角地帯に入ろうとした時は少数民族の武装集団がいて危険だった。当時を知る者からすればその変貌振りには瞠目する。

もともと豊かな国だったビルマが最貧国に没落したのは政治である。日本軍人精神を叩き込まれたネウインのクーデタでビルマ式社会主義を押し進め、鎖国経済と国営化を進めた。独裁軍事政権の大失政だったがネウインの独裁政治は26年つづいた。


1988年になって民主化運動が高揚し、ネウインが辞任したが、軍政はつづいた。イギリスから帰国したアウンサンスーチーさんが指導者となって設立したNLDは国民的支持を得ているが、タンシェ政権はアウンサンスーチーさんを自宅軟禁し、反政府的言論や運動を弾圧している。

スーチーさんを釈放できないのは政権が崩壊しかねない国民的人気が恐いのだろう。まさに独裁政治のアキレス腱である。

もともとイギリスと3次にわたって戦争し敗北してイギリス領となったビルマは植民地として徹底的に収奪された。

イギリスからの独立が悲願だったアウンサンら革命の志士は日本軍を頼り、特務機関が海南島で軍事訓練して独立支援をした。アウンサンやネウインは日本の軍人精神を叩き込まれ、精神主義で実体経済を理想と観念で国家経営を進め失敗した。

このツケは大きい。日本にも大いに責任がある。

ビルマは東南アジアでは珍しく親日的な国である。しかし人権弾圧でアメリカが経済制裁に踏み切ると日本政府は、ODAの新規プロジェクトを停止し、様子見である。



しかもカレン、カチン、シャン、モンなど135を数える小数民族がそれぞれ地域によって自治権を要求、独立直後から長い内戦状態で国土が荒廃した。

悲願の独立と自力による近代化を企て失敗したビルマ式社会主義。

1989年ビルマ政府は国名を「ミャンマー」に変えたが、アウンサンスーチーさんら民主化要求の人々は「国民に選ばれた正統な政府としては認められない」と「ビルマ」の呼称を使っている。

独裁と分裂と、2007年のビルマはどう動くのか。興味はつきないが、アジアには珍しい親日的な国として日本はビルマ支援を惜しんではならない。その前に人権問題を克服することができるか、が今後のビルマの命運を左右するだろう。

北岡和義プロフィール
1941年岐阜県生まれ。64年南山大学卒。読売新聞記者。70年衆議院議員公設第一秘書。
74年、フリージャーナリスト。79年渡米。JATV会長。日本大学国際関係学部非常勤講師。
在外投票違憲訴訟原告団副団長。
著書に『13人目の目撃者』、『ドキュメント選挙戦』、『べらんめえ委員長』など。