祝英台は教育を受けるためやむなく男装して杭州の学校に入り、梁山伯と義兄弟になる。 政略結婚のため故郷に戻された祝英台を訪ねた梁山伯は、義兄弟が女性と知り、 彼女と結婚できない辛さから病死。 祝英台の結婚の行列が梁山伯の墓前まで来ると、 雷鳴とともに墓が割れ、彼女はその中に飛び込む。嵐がやむと一対の蝶が舞っていた。
この伝説に対する中国人の意識を探るアンケートをした後、連休を利用して杭州に出かけた。手がかりとなる地名といえば杭州しかなかったからだ。
家庭教師をしてもらっていた中国人学生の親友が現地にいると聞き、彼女たちも同行した。
一方、寧波の公園には1997年に発掘され、晋代のものとされる梁山伯の墳墓がある。
結局、実在する墳墓は寧波のほか、江蘇省の宜興市、河南省の汝南馬村の三ヵ所だけ。廟があるとされた接待寺には行ったが廟そのものは見つけられなかった。学問所も特定できなかったが、杭州にあったと私はみる。当時の杭州は学都として知られていたうえ、梁山伯と祝英台は学校に入学するための旅の途中で出会っている。二人の出身地を考えると、彼らは杭州に向かったはずだ。
梁祝伝説の輪郭がおぼろげながら見えてきた。
梁祝伝説にはまだ謎が多い。 帰国後、梁祝文化研究所を立ち上げた。 日本でもこの物語が知られるよう尽力したい。