20年ほど前、仕事でコスタ・リカに住んでいた友人が帰国し、お土産に写真パネルをもらった。
そこには、「ペルーに旅行したので…」と、マチュピチュの遺跡が写っていた。
「あぁ、世界にはこんな所もあるのね」と大切に飾っておいたのだが、今回、自ら訪れるとは夢のようだった。いざ、時差14時間、インカ文明のふるさと、ペルーへ

首都リマ。征服者ピサロは、征服から8年後の1941年に暗殺され、自らが建立した大聖堂に眠る。

市内の天野博物館、黄金博物館を見学。商才で財をなした天野芳太郎氏が、情熱を傾けて収集したプレ・インカ時代の土器、織物について、丁寧な説明を受ける。
黄金博物館では、数多く展示されていた「毛抜き」に注目。
黄金の豪華な毛抜きを首から下げ、常にひげを抜いていたのだとか。想像すると…


かつての帝国の首都、クスコ。標高3000m超の都市の名は「へそ」に由来。
「カミソリの刃も入らない」といわれたインカ時代の精緻な石積みや石畳と、征服時代の建物が混在している。石組みに刃を入れる実験どころか、触ることもできないのが残念。まぁ当然か!


このあたらから、山に数字や文字が書かれているのを目にする。山の所番地だそうだが、中には、学校の卒業記念制作もあると聞いた。

クスコから標高を2000m台に下げ、
待望のマチュピチュへ向かう。幹線道路は途中でなくなるので、麓のアグアスカリエンテス駅まで、鉄道の旅。


麓の駅からは、鉄道で運び入れたシャトルバスが、1911年に遺跡を発見したアメリカ人、ハイラム・ビンガムの名を冠した登山道をガンガンと登ってくれる。

入り口でチケットを切ってもらい、まずは展望台へと向かう。一気に視界が開けたところで、
お馴染みのあの景色!思わず歓声!


ついにここまで来た、と言葉もなく、ただ遺跡の全景に見入る。現地在住日本人ガイドさんの詳しい説明を聞きながら、遺跡を巡る。

石組みにも3種類あること(粗組み、立方体の石を使ったもの、間に土を含むもの)、建物に屋根を載せていた仕組み、水汲み場、神殿の由来、太陽信仰、山への尊敬の念…

ついぞ文字を持つことのなかったインカ文明だが、その高度で機能的なことに、改めて感心した。


マチュピチュ村に一泊し、翌日は、インカ時代からの道をハイキング。リャマが遺跡を見下ろしている姿は、まさに「孤高」という言葉がぴったりだった。

スペイン人が攻めてきたとき、インカの民は投石ぐらいしか防御の術を知らなかったそうだ。
そんなにも平和に暮らしていた人々を、この山頂にあって、存在すら知られていない都市を捨てねばならぬほどに追いつめなくても良かったろうに、とつくづく思う。
振り返り、振り返りしながら、去って行ったのかと想像すると、切ない。




帰路、古の衣装に身を包み、登山道をショートカットしながらバスを追いかけてくる少年がいる。それはもう悲しげな表情をつくり、各国語で別れの言葉を叫び手を振る。通称「グッバイボーイ」。面白がって見ているうちに、「あぁ、遺跡とお別れね」という気分になってくるが、山を下り終わったところでバスに乗り込み、ポシェットを広げてチップを貰う仕組み。な〜るほど。

クスコの手前まで列車で戻る。バックパッカー、ビスタドーム、超豪華なハイラム・ビンガム、とタイプがあるが、私達はビスタドーム。前座の「リャマ遣いの踊り」に続き、アルパカ製品のファッションショーが始まる。モデルは乗務員さん。なるほど、どっちが本職?というくらい、スタイルが良い。普通のおじさんに見えた男性乗務員さんも大真面目にポーズを取るので大喝采!その後販売となるのだが、売り上げや如何に。

そんなこんなで、本格的なスイッチバックが始まる前に下車。


クスコからチチカカ湖へ向かう。さすがに富士山より高いところでの宿泊、明け方、鈍い頭痛で目が覚めるのだが、市販の頭痛薬がよく効く。途中、4335mの峠越え。お土産やさんの笛を吹かせてもらったら、ちょっとクラッときた。

ボリビアとの国境、チチカカ湖。トトラという葦の茎を積んだ浮島「ウロス島」(1つの島ではなく、浮島のあるエリアの総称)を、これまたトトラの船で周遊。とにかく空も湖面も青く気持ちがよい。住居の島、学校の島、上陸すると足元はふわふわ、面白い。



ケーナやサンボーニャが奏でるフォルクローレのメロディがまさにぴったりの風景。そして夜は、満月が煌々と明るい晩だったが、南十字星を見ることができて大感激だった。

滞在中、「フジモリ政権の時代に○○した…」という説明を多く聞いた。道路が整備された・学校や病院が建設された・企業が民営化された・各戸にトイレを設置するよう指導されたetc. なるほど、地方で人気があったわけだ、と納得。


旅の最後はナスカの地上絵。わくわく、ドキドキ、イカからの遊覧飛行。ナスカ、イカの2カ所から遊覧セスナが飛ぶのだが、地上絵上空は同時に10機までと規制されているそうで、いつ飛ぶのか、3・5・12人乗りどの機種になるのかは、アエロコンドル社が決めてくれる。待ち時間はオアシスや博物館の見学、食事で調整。うまくできている。
また、イカには保護されている(あくまでも!重要)コンドルがいて、一緒に写真も撮れる。

私達のグループは、TC含めて24人だったので、12人乗り×2機で飛ぶことに。酔わないコツは自分の側の窓からだけ見ること、と念を押されて出発。

12人乗りタイプには、パイロットが2名。英語で、「アンデス山脈ですよ」とか「パンアメリカンハイウエィですよ」とガイドが始まったのだが、やがて「?☆*※Φ」と意味不明言語。よ?く聴くと「ウッチュジン:宇宙人」と判明!以後は、ミギ・ヒダリ・マダマダ・ココ ハネ シタ…日本語を駆使してのガイド。恐るべし日本人観光客パワー。いつもより、低空を飛んだらしいのだが(高度計から計算すると地上400mくらい)、次々とよく見えて、大感激、大歓声。




よく見えるのは嬉しいが、旋回飛行はもう勘弁ね、というところでパイロット氏の「コレデ オワリ ニ シマショウ」の一言。名残惜しいが、正直、ほっとする。

旧東独ドレスデンに生まれ、郵便配達人になるのが夢だったマリア・ライヘ女史が、
生涯をかけて保存を訴え続け、研究した地上絵。彼女の生涯については、楠田枝里子 著
「ナスカ 砂の王国 地上絵の謎を追ったマリア・ライヘの生涯」(1990年 文藝春秋社)を
読んだ。前出の天野芳太郎氏の記述もある。

ペルー、距離は遠い国だったが、想像以上に感激・感動の連続だった。大自然とインカ文明、大地を愛し、敬う人達の素朴な生活が、「あなたの日常、気づかないうちに、何か失くした物はない?」と問いかけてきているようだった。


お料理は、アンデスの大地が育んだジャガイモ、トマトをはじめ、チチカカ湖の鱒、海の魚、アルパカのグリルまで、どれもみな美味しかった。日本でも作れそうな2品を。



お土産には、コカ茶やコカ・キャンディが珍しくて手軽そうなのだが、「コカ」と名の付くものは、国外持ち出し禁止。そこで、ティーバッグの包装だけ。 田舎の家の屋根の上には、必ずと言って良いほどちょこんと乗っている、魔除けの牛の人形。