インド洋に浮かぶしずく型のセイロン島。その地図からはみ出しそうな長〜い首都の名前、スリ・ジャヤワルダナプラコッテをムキになって覚えた人も多いでしょう。(残念ながら現地では一度も見聞きしなかった)写真担当の『と』は、1981年に一度訪れている。カレーの味が忘れられず、85年つくば万博の一番のお目当てが、スリランカ館のカレーだったほどである。その後、内戦のため、「行けないねぇ」と残念がっていたが、2002年2月に停戦合意がなされ、日本からのツアーも再開され、めでたく『ゆ』も、あこがれのスリランカへ。旅の必需品は、ビーチサンダルです!
ブッダがその樹下で悟りを開いたといわれる菩提樹から、株分けされた樹があるアヌラダプラ。シンハリ王朝の首都として栄え、仏教遺跡が残る。熱心にお参りする人が、菩提樹の葉を一葉、拾って渡してくれた。スリランカでは、寺院の見学は、裸足にならねばならない。で、ビーサンが便利。
寺院の出入り口にある、半円形のムーンストーンのデザインが美しい。
美女のフレスコ画で有名なシギリア・ロックへ向かう。
大きな岩が眼前に登場すると同時に、「一緒に登りましょう」とお兄さん達が次から次へと。チップを渡すと、足場の良くない場所で、手をつないで、引っ張ってくれるらしい。

 父親から王位を取り上げ、挙げ句に殺してしまった王が、弟からの仕返しを恐れて、この巨大な岩の上に宮殿を建造したという。しかし、その世も11年で終焉を迎えることに。

スリリングな螺旋階段を上りシギリア・レディとのご対面。
時を経て、今も褪せぬ美しさに息を呑む。

さらに、ライオン・ロックとも呼ばれる名残のライオンの爪から頂上を目指す。

10〜12世紀の首都、ポロンナルワにも、見応えのある仏教遺跡や王宮跡が残る。
スリランカでは、仏像にお尻を向けて写真撮影をすることは許されない。監視員さんもいる。
故に、みな見返り美人状態。
ダンブッラ石窟寺院。紀元前1世紀に自然の洞窟に僧侶が住み着いたといわれる。
ほの暗いなかに残る壁画や、岩を掘った仏像が見事だった。
スリランカの涅槃仏は、足が少しズレているそうである。揃っているものは、単に寝釈迦なのだそうだ。
願い事をして、石畳のくぼみに椰子の実をたたきつけて割る場面をみかけた。

すでに、背後にサルがスタンバイしている。割れたと同時に、多くのサルが突進してくるさまは、すさまじかった。

王朝が代わるたび、統治の象徴として都に造られた仏歯寺が、今は、第2の都市キャンディにある。
ありがたい仏歯を納めた金ピカの容器と、御開帳の時間の、ラッパ・鐘・太鼓によるにぎやかな奏楽が印象的だった。
スリランカの産業というと、宝石と紅茶。
宝石加工工場の見学に行ったが、この地で扱うのは石の状態。次々と指の上に乗せられ勧められたが、さくらももこさんのように「出色の品質の石を、驚くほど安価で購入し、日本で指輪に加工」というわけには… ちょっと勇気がない。
この街から、高地に入り、紅茶の産地、ヌワラエリアに向かう。どうやって収穫するの?というほど、斜面ギリギリまでお茶の    
木が植えられていた。

こちらは、お土産としてたくさん買って帰った。

 ピナウエラの象の孤児院。
ケガをした象、親と一緒に暮らせなくなった象たちが育てられている。通りのお店を覗いていると、何か気配がするので振り返ると、象の行進、びっくり。
おとなしく列になり、日課の水浴びに行くのだそうだ。

象つかいと一緒に、川で水浴びする姿は、何とも気持ちよさそうで、平和な眺めだった。

 穏やかな気候、美味しい食事、いたるところで見かける動植物。ゆったりと時が流れていた。
 実はこの旅の出発は、04年12月26日、スマトラ沖大地震が発生し、インド洋大津波がスリランカを襲った日である。私達は、機中だった。セイロン島は、北海道を一回り小さくした面積であり、遺跡は内陸にあるため、ほとんど影響なく旅程をこなした。ただ、最終日の予定、ビーチ・リゾートのヒッカドゥワとゴールの街は被災したため訪れることは叶わなかった。

 宿泊したホテルの客室に必ずテレビがあるわけではなく、あっても視聴できるのは現地語の放送と、BBCだったため、私達には詳しいことは帰国するまでわからなかった。

 コロンボ市内のホテルや公共施設は、すべて、帰国できない旅行者と、被災した人達に開放されたため、最終日の代替ホテルはぎりぎりまで決まらなかった。
しかし、旅行を続けるうちに、混乱は収まり、申し訳ないほど快適なホテルに宿泊できた。この頃になると、ホテルには、各国の報道クルーと赤十字関係者が宿泊していた。

 スリランカは、敬虔な仏教国である。国中の軒先、大通りには、死者を悼む白い旗やリボンがあふれ、大晦日には、政府の方針で、アルコールを飲まない、販売もせず、として全土が喪に服した。

 こんな中にあっても、人々は微笑みを絶やさず、観光バスを見れば、手を振ってくれた。
多くの方々が被災され、命を失い、未だ行方不明の方もいらっしゃるなか、快適な旅を続けられたことには、正直、胸が痛む。
皆様に、衷心からお見舞いとお悔やみを申し上げ、
一日も早く復興されることを、ここ日本からお祈り申し上げます。