ある年齢以上の人ならかつてパキスタンに東西があったのを記憶しているかもしれない。東パキスタンと西パキスタンである。第二次世界大戦後の1947年、インドとパキスタンはイギリスの植民地からそれぞれ独立したが、インドがヒンドゥー教徒主体の国であるのに対して、パキスタンはイスラム教徒によって構成されたため、その居住地の関係からインドをはさんで東西に位置することになった。

インドとパキスタンはカシミール地方の領有を争って二次にわたる紛争を続けており、現在も国境は確定されていない。東パキスタンは西パキスタンに政治実権を握られていたため、独立運動が盛んに行われるようになった。そこにインドが介入し1971年、第三次印パ紛争と呼ばれる全面戦争が勃発した。この戦争はインドの勝利に終わり、東パキスタンはバングラデシュとして独立を果たし、現在に至っている。
ぼくはこの西パキスタン、現在のパキスタン・イスラム共和国を二度訪ねた。いずれも北部、カラコルム山脈の懐にひろがるノーザン・エリアの最奥に位置する不老長寿の里、桃源郷フンザを訪れるのが第一目的の旅であった。

緑色がシンボルカラーのパキスタン航空機は北京経由でラワルピンジの空港へ到着する。隣接する新市街とあわせて現在の首都イスラマバードとなっている。

ラワルピンジとフンザ地方の入口ギルギットのあいだには小型飛行機の便がある。飛行経路はちょうどインダス川に沿って北上するかたちになるのだが、そのあいだに標高8126メートル、世界第9位のナンガ・パルバットという高峰があるので、天候の具合でしばしば欠航するという。

陸路では、ウイグル自治区のカシュガルから標高5000メートルのクンジュラブ峠を越えて通じているカラコルム・ハイウェイという大動脈がある。ぼくがはじめに訪れたのはこの道路が全通して10年が経過したころだ。

しかしハイウェイとは名ばかり、インダス川の渓谷の崖を切り開いて無理矢理通したような道なので、しょっちゅう崖崩れや落石で通行不能になるらしい。日本人観光客の乗ったマイクロバスがインダス川に転落し、何人も亡くなったのはまだつい前年のことだった。

結局天候不良で、ぼくはこのカラコルム・ハイウェイを最初の時も、二度目の時も、マイクロバスで2日半かけてフンザに向い、同じ時間かけてイスラマバードに帰って来ることになるのだが、そのおかげで飛行機でひょいと飛んでしまったら絶対に見ることのできない風景と、地元の人たちとの交歓が持てたのだから、お天気に感謝しなくてはならないかもしれない。


カラコルム・ハイウェイにはまさに断崖絶壁をすり抜けるように通るところもあれば、川からそれて砂礫帯を行く場所もあったりするが、たいがいは川と付かず離れず進んでいく。岩をくり抜いてトンネル状になっているところを通過する時などは、天井がぶつかりはしないかと思わず頭をかかえ、対向車とすれ違う時には、川に転落しやしまいかと冷や汗ものだ。

右写真:カラコルム・ハイウェイを走る満艦飾のトラック。見事な絵や装飾で自分の車を飾り立てる。パキスタンのトラック野郎である。



ベシャム、パッタン、ダスー、チラスと、ところどころにある小さな町や村を過ぎ、やがてインダス川を右手に見送るとギルギットは近い。町の手前で右手からフンザ川が合流する。この川沿いに上流に向かうと、車で約半日行程でフンザ地方である。

ギルギットはパキスタン・ノーザンエリアの中心地。いにしえの昔からのシルクロードの要衝地だ。この一帯には紀元前のアレキサンダー東征の時の兵士の末裔たちが住むという村もあり、いわゆる紅毛碧眼の人たちだという。実際、西へ山をひとつ隔てたスワート地方では、長い遠征に疲れたアレキサンダーの兵士たちや馬を一年ほど休ませたという史実もある。女たちに血を残したとしても不思議はない。


フンザ地方は昔から高齢者が多く、長寿の里として知られてきた。周囲を7000メートル級の高峰に囲まれた山間地にあっても気候は比較的おだやかで土地は肥沃、果樹栽培が盛んで、それらをよく食することが長寿につながっているのだと聞いたことがある。
イスラム教国パキスタンにあっても、ここフンザ地方ではイスマイル派でさほど厳しい戒律はなく、フンザ・パーニー(フンザ水)と呼ぶ果実酒も飲まれている。果物から作ったどぶろくのようなもので、香り高くうまかったが、ひどく悪酔いをした。


帰路ギルギットの町で、結局乗れなかったが飛行機待ちをしている間、楽器を探しに出かけた。フンザに行く前に見当をつけていた市場のあたりで、土産物を並べている店で何本もの弦楽器がぶらぶら吊り下げられて揺れているのを発見した。


長い棹にピスタチオナッツの半割りのような小振りの胴、釣り糸ほどのナイロン糸でフレットが巻いてある。弦は鉄の3コースで、うち2弦が複弦、まん中は単弦だが初めから第四フレットの下を通してある。つまり5度上の音がフレットを押さえなくても出せるようになっている。なんだか不思議な楽器。

チトラール・シタールという名前だと聞いて、チトラール谷で独自に発展した楽器かとも思われるが、そんなこともないだろう。カラコルムの谷を渡って吹く風の音のような響きがするように思われるのは、ぼくの思い入れが強すぎるからかもしれない。



イスラマバードへ戻るカラコルム・ハイウェイからそれて、雪のシャングラ峠を越えてペシャワールに向かうことにしたのは、アフガニスタンに侵攻したソ連軍が撤退してようやく十年、その年からツーリストに一部開放されたカイバル峠から憧れのアフガニスタンを遠望したかったからだが、峠に立ってみても、そこから先にアフガンの大地が広がっているわけではなく、ぼうっとはるかに霞む乾いた山波のさらにその向こうであった。
その後、湾岸戦争を経て、アメリカがアフガニスタンで戦争をはじめたのはまだぼくたちの記憶に新しい。ぼくがアフガンの大地を踏めるのはまだまだ先のことになりそうだ。
 

今回も最後までご愛読ありがとうございました。次回はブータンを予定しています。
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