旧ユーゴスラヴィア、かつては  7つの国境・6つの共和国・5つの民族・4つの言語・3つの宗教・ 2つの文字・1つの国家、「モザイク国家」と呼ばれた国… 今なお複雑な課題を抱えつつも、不幸な内戦からの復活を遂げ、人々は純朴な笑顔で旅行者をもてなしてくれる。 紺碧のアドリア海に面した国々の旅は、大感動の自然、圧倒的な歴史遺産の連続であった。




ブレッド湖畔のホテル、朝、窓際に立って大歓声!前日のチェックインが深夜だったため予想だにしていなかった眺望。この眺め独り占め!どの部屋でも思ったに違いない。手漕ぎの大型ボートで島に渡り、願いが叶うという鐘をならす。ちなみにこの 国では他に島がないため、島の名前は、“島”なのだとか。


 カルスト地形の名はスロヴェニアに由来。ポストイナ鍾乳洞へ。トロッコで「まだ乗るの?どこまで行くの?さぁ〜ぶぅ〜い」というくらい奥へ進む。添乗員さんからは「旅行社の立場から申し上げますが、洞内は写真撮影禁止です」と言われていた。しかし、国は違えど、心のアルバムのページサイズがやや小さいのは皆同じ、「旅行者の立場では、フラッシュを使わず節度ある撮影をします」となる。

とにかく、大きい・広い・深い、スケールが桁違いの地下世界が続く。 最後には、洞内に棲息し、眼が退化してしまったという「類人魚」を見て、再びトロッコで地上へ。

まずは、「プリトヴィッツェ湖群国立公園」へ。大小の湖が石灰の堰でつながり、滝を形成している。一帯は原生林に囲まれ、中国・四川省、九寨溝のヨーロッパ版といったところ。

たっぷり時間を取って、遊覧船やシャトルバスにも乗り、ミニハイキングで大自然を堪能する。何度も深呼吸をし、人によってくる湖水の魚をながめ、日頃のサビを落とした気分になる。 コースの最後に、ネイチャーガイドさんから、内戦時にはこの美しい国立公園内にも、多くの地雷が埋められたことを聞く。これはショックだった。地雷を埋めた者、除去した者、それぞれの胸の裡にはどのような思いが去来したのだろう…



アドリア海沿いを南下し、古都トロギールを経てスプリットへ向かう。 古代ローマのディオクレティアヌス帝宮殿。 遺跡の中に、土産物店があり、人の住んだ跡もあり、門前にはエジプトのスフィンクスもあり、 何でもありの賑やかさだ。 美味しいシーフードでお腹を満たし、旅のハイライト、ドブロヴニクへ。

“アドリア海の真珠”と呼ばれた中世城砦都市ドブロヴニク。旧市街の石畳は、鏡のように光っている。街を一望できる城塞の遊歩道を歩くと、外には海で泳ぐ人達、内には中世の街並み、とにかくオレンジ色の瓦屋根、紺碧の海が美しくまぶしい。


歩き疲れると、壁の隙間から吹き上げてくる風が心地よい。私達旅行者の目には、オレンジ色の瓦の濃淡が美しく映えるが、この街も内戦の際には空爆されている。濃淡のコントラストは、修復の結果なのだそうだ。絶景と穏やかな人々の生活を前にして、またも胸の痛む思いであった。



地図をよく見るとわかるが、ドブロヴニクに向かう途中、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを通過する。ここにほんの数キロ、国の存亡を掛けたかのような海岸線を有しているため、ドブロヴニクは飛び地の体になる。トイレストップで立ち寄ったカフェでは、キリル文字のメニューや新聞があり、あぁ、確かに別の国なのだな、と実感する。 この国の首都は、歴史の教科書、第一次大戦の項に必ず登場するサラエヴォ。私にとって忘れられないのは、84年サラエヴォ冬季五輪で、6点満点をズラリ並べた、アイスダンス、トービル&ディーン組の「ボレロ」の演技。


不思議な感覚にとらわれていた。セルビア・モンテネグロと表記されるが、モンテネグロ側は、コソヴォを擁するセルビアとは、一線を画したいようである。通貨も 独自にユーロを導入しているし、土産物店には、モンテネグロの地図をバックに「2006 INDEPENDENCE」とデザインされたTシャツがならんでいる。まだまだ、揺れ動くようだが、どうぞ、紛争にならぬようにと願うばかりだ。


帰国のため、内陸の首都ザグレブへ。 街中を走る路面電車は、色々なデザインで見ていて楽しい。


クロアチアはネクタイ発祥の地、ダルメシアン犬種のふるさと、そしてサッカー・ナショナルチームのユニフォームは 紅白の市松模様…再発見することが多かった。

旅行中、破壊され打ち捨てられた集落や今なお残る銃弾の跡を見ることもあった。せっかく縁あって訪れた国なのだから、 辛いことにも目を向けなければ、と思った。普段は考えぬ事にも思いを馳せる。やっぱり、旅はいい。