管制塔の不調か何かのせいで、テヘランからイラン中部の街イスファハーンへの国内線が欠航になったと聞いた時には憤然としたものだ。なにしろ短い日程でイラン国内を回ろうという計画でやってきているものだから、夕刻にはイスファハーンのバザールでもうろついている予定が、まだテヘランで空港の係員と交渉が続いている。
イスファハーンまでは、かわりにバスで向かうことになった。テヘランから南およそ400キロの行程である。

バスは走り出すとまもなく市街地を抜ける。あとはえんえんと南へ下るだけ。周囲は砂漠というのではなく、丈の短い潅木がまばらに生えている土漠である。ところどころで街や村を過ぎるが、道はほぼ一直線で南へ向かっている。沿道で露天でザクロを商っている。
唐突に広い真っ白な平原に出る。塩湖である。夏の間は塩の湖になっていて、季節が冬の今は乾いた白い平地が茫漠と地平の彼方まで続いているばかりだ。それでも時折は水面が顔を出しているところも見える。

 その白い平原の向こうに岩山が姿を現わしはじめた。ひとつふたつというのではない、なんとも表現のしようがない岩の固まりの大小が、それでもそれぞれはおおよそ三角錐の山の形をして、平原から屹立して、車窓を次から次へ過ぎていく。

手許の腕時計式の高度計はおよそ1100メートルから1300メートルの間を行き来している。太古からこの高原をいくつもの勢力が往来し、衰亡をくり返してきたが、この高原を征したものが長く周辺を治めてきた。アケメネスをはじめとしたペルシアの王朝であり、はるか西からやってきたアレキサンダーの帝国、のちにはモンゴルもやってきてこの高原を征した。

それにしてもなるほどイランは高原の国、これを実感させてくれたのは、偶然にしろ望みもしなかった飛行機の欠航であった。だから旅は面白い。






かつて世界の半分とまで讃えられた街、イスファハーンはサファヴィー朝ペルシアの帝都であった。街の中心イマーム広場に立てば、青タイルの巨大なドームに支えられた王のモスク(マジェステ・イマーム)、女性のモスク(マジェステ・シェイフ・ロトゥフォッラー)、アリカプ宮殿やバザールの入口の門などが見事というしかない装飾で迎えてくれる。


うろうろきょろきょろバザールの中を迷い歩きながら、ぼくの頭の中ではひとつのメロディーがくり返し流れている。隊商の行進、市場の喧騒、王女の登場、軽業師や蛇使い、王様の登場と情景描写が続く、ちょっと前までのオーケストラ名曲選には必ずといってよいほど入っていた「ペルシアの市場にて」という、イギリスの作曲家ケテルビーの管弦楽曲。この曲の最初のテーマだった。

なんだかふわふわと不思議な感覚が支配してきて、いまぼくはどこにいるのか、なにをしているのか、自分でも分からなくなってくる。こんな時にペルシア美人があらわれて、ふかふかのソファーに誘い、水パイプでも差し出してくれるとありがたいのだが、たいていそうはならない。


ぼくの視界に入ってきたのは小さな小さな楽器工房だった。セタールが壁に何台かぶら下げられ、トルコではケマンチェと呼ぶ擦弦楽器、タンボリンという片面太鼓も窓越しに見える。まだ若い男がセタールの丸い胴をやすりで磨いている。



1979年の革命で厳格なイスラム教国に戻ったこの国では飲酒はもちろん禁じられ、服装にまでイスラムの教えが及んでいる。外国からの旅行者といえどもこの規制下に置かれる。

渡航前からおよそ1週間の禁酒は覚悟していたからいいものの、歌舞音曲はどうかが気になっていた。公衆の前とか公の行事では皆無だろうと思っていた。しかしどうやら細々とでもペルシア伝統楽器の製作が存続しているのを見てうれしかった。

その店でセタールを一台買い求めた。あやふやな記憶だが、たしか80という数字をドル紙幣で払ったように思う。テヘランのアメリカ大使館占拠事件からもう10年も過ぎて、まだ街のあちこち、高級ホテルの壁にまで Down with USA(アメリカをやっつけろ)というスローガンが大書されていたのに、現実ではドルが流通していることに不思議な驚きと、市民のしたたかさを感じたものだった。



今回もご愛読ありがとうございました。次回はシリアを予定しています。 9月にはバルカン半島の一部を旅してきました。スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの三ヶ国です。その様子をブロクに紹介しはじめました。ご興味のある方はhttp://fuefukin.exblog.jp/ をのぞいてみてください。



文・写真撮影 門井菊二
1954年埼玉県生まれ。出版社において雑誌・書籍の編集職を経て、現在フリーランスで文学、歴史、芸術、ほかノンフィクション関連分野の書籍編集に携わる。
山岳、渓流、里山、海外辺境などの分野では写真およびビデオ撮影を継続中。
また主にユーラシア各地の民族楽器を蒐集、演奏し、最近はアイルランド伝統音楽の演奏に取り組んでいる。