もう15年以上も前になるが、九州大分の友人一家を訪ねた折のことだ。博多で小さな集会に出かけた。八重山の唄者で三線奏者の大工哲弘さんと、ウイグル出身のドゥタール奏者のちょっと変わったジョイント・コンサートだった。
大工さんの八重山の唄と三線はもちろん心に響くものだった。しかし、それ以上にはじめて生演奏を聞いたドゥタールという楽器と、それが生まれた場所、日常生活の中に音楽と踊りが根付いているウイグルという土地への憧れが深く心に刻み込まれてしまったのである。
ウルムチから天山山脈上空を西南西に飛行すること2時間あまり、カシュガルの乾いた空気が迎えてくれた。中国もここまで来ると、完全にイスラム色に変わる。ちょうどこのあたり、天山山脈や崑崙山脈、タリム盆地、タクラマカン沙漠が、東の漢族の世界とイスラム世界の境界にあたる。ハンチントン教授は『文明の衝突』でイスラム世界とキリスト教世界の境界を冷戦時代の東西ヨーロッパの間に引いたが、ここカシュガルは西から見ればイスラム世界の東の最前線なのだ。
寺院の裏手に、職人街と呼ばれる金物店やら布地店やら靴、帽子、民芸品にいたるまで生活雑貨を扱う店と工房が立ち並ぶ通りがある。
モノを作って売るという行為がこんなにも一体となっている場所は、世界中さがしてもそんなに多くはない。 生産と販売が完全に乖離して、職人が消滅してしまった日本から見たら、うらやましい光景である。
その職人街のなかほどの楽器店に入ると、店の奥の5坪ばかりのスペースが工房になっていて、見習いらしい少年と、2人の青年が丸い胴の部分を小刀で整形している。 店主らしい中年の男が、その胴のひとつを持って「これに」と言って、壁際にぶら下がっている何本もの長い棒を指差して、「あっちの棹をくっつけて、弦を張ったら出来上がりさ」とジェスチャーを加えながらなんともおおざっぱな説明をする。そんなことわかってるさ、と思いながらもフムフムとうなずく。
店にある楽器の中でもいちばん大きいのはドゥタールだ。何台か試し弾きさせてもらい、値段を訊ねて、ディスカウントの提案をする。なかでもひときわ寄木細工の幾何学模様のきれいな1台を買うことに決め、店主に「これを1台持って帰りたい。替えの弦と駒、それに予備のペグ(弦巻)もつけてね」と頼み、「さっき言った値段で全部込みだよ」と付け加える。
店主はなにやら頭の中で計算している様子だったが、ええい、しょうがないといったやや機嫌を損ねた表情で「オーケー、分かったよ」と顔を軽く横に振った。駒は小さなものだから別にしても、ペグ代や弦代を儲け損なったと思ったのかもしれなかった。 それでも店を出る時にははじけるような笑顔で、「またいらっしゃい。いい楽器をたくさん作って待っているから。日本の友達にこの店を宣伝しといてくれよ」と言って送りだしてくれるのだった 。
こうして飛行機の中も大事に抱えて持ち帰った1台のドゥタールは、東京のぼくの部屋に風が抜けると、低い共鳴音をならす。それはまぎれもなくシルクロードの沙漠の乾いた砂の音だ。 次回はアルメニアを予定しています。
文・写真撮影 門井菊二 1954年埼玉県生まれ。出版社において雑誌・書籍の編集職を経て、現在フリーランスで文学、歴史、芸術、ほかノンフィクション関連分野の書籍編集に携わる。 山岳、渓流、里山、海外辺境などの分野では写真およびビデオ撮影を継続中。 また主にユーラシア各地の民族楽器を蒐集、演奏し、最近はアイルランド伝統音楽の演奏に取り組んでいる。