敦煌、ウルムチ、トルファン、カシュガルなどという地名を見かけたり、耳にするたび、早く行かなければと気がせいたものだ。西域という響きが快く、沙漠をゆくラクダの隊商の列や、トルファンの歌姫たちを空想したりした。その多くは、井上靖さんや司馬遼太郎さんの著作を読んでのものであったり、テレビ番組を見てのものであったりしたが、なかでももっともぼくに直接作用したのは、ある小さな音楽会だった。

もう15年以上も前になるが、九州大分の友人一家を訪ねた折のことだ。博多で小さな集会に出かけた。八重山の唄者で三線奏者の大工哲弘さんと、ウイグル出身のドゥタール奏者のちょっと変わったジョイント・コンサートだった。


三線はその名のとおり3弦の楽器、ドゥタールも同じく名称どおりの(ドゥは数字の2、タールは弦の意)2弦の楽器、あわせて5弦コンサートというふれこみだったかどうかは定かではないが、演奏がはねたあと、ウイグル人奏者と話す時間があり、ドゥタールにも触らせてもらった。棹が意外に長く、普通に胴を身体の中心に構えると、左手が棹の先まで届かないくらいだ。楽器の分類からすればロングネック・リュート族に入るのだが、同じ族に属する西洋のテオルボ(キタローネ=アーチ・リュート)のように単音の低音弦が張ってあるわけではなく、こちらは2弦とも同じ長さである。だから棹の先のフレットまで手が届かないと弾けないわけだ。ウイグル人はこれを自在にあやつって、唄の伴奏はもちろん、ソロでもそれこそオリエンタルなメロディーやすばやいパッセージを巧みに紡ぎ出すのだった。それもたった2本の弦から。

大工さんの八重山の唄と三線はもちろん心に響くものだった。しかし、それ以上にはじめて生演奏を聞いたドゥタールという楽器と、それが生まれた場所、日常生活の中に音楽と踊りが根付いているウイグルという土地への憧れが深く心に刻み込まれてしまったのである。


新疆ウイグル自治区の省都ウルムチは、中国中央政府の西部開発のかけ声に乗って大きなビルの建築ラッシュで、街の中心部に30階建てのマンションまで建築中だった。街で買い求めた新聞に、日本の不動産会社やデベロッパーが作るのとまったく同じようなマンションの折込チラシが入っていた。A3判4頁建てカラー印刷の立派なものだ。


その最上階、100平方メートル超4部屋付きペントハウスの中国元表示の値段をちなみに日本円に直してみたら、なんと約900万円。なんだ、これくらいなら買えるじゃないかと思わずつぶやいたものの、ここは東京ではなくウルムチなのだった。

ウルムチから天山山脈上空を西南西に飛行すること2時間あまり、カシュガルの乾いた空気が迎えてくれた。中国もここまで来ると、完全にイスラム色に変わる。ちょうどこのあたり、天山山脈や崑崙山脈、タリム盆地、タクラマカン沙漠が、東の漢族の世界とイスラム世界の境界にあたる。ハンチントン教授は『文明の衝突』でイスラム世界とキリスト教世界の境界を冷戦時代の東西ヨーロッパの間に引いたが、ここカシュガルは西から見ればイスラム世界の東の最前線なのだ。



さっそくウイグル自治区最大のモスク、エイティガール寺院を訪れる。広場に面して大きな入口の門と2本のミナレット(搭)が立つが、トルコやパキスタン、イランなどの、それまで見てきた国のモスクとずいぶん様子が違う。

寺院の裏手に、職人街と呼ばれる金物店やら布地店やら靴、帽子、民芸品にいたるまで生活雑貨を扱う店と工房が立ち並ぶ通りがある。


モノを作って売るという行為がこんなにも一体となっている場所は、世界中さがしてもそんなに多くはない。
生産と販売が完全に乖離して、職人が消滅してしまった日本から見たら、うらやましい光景である。



その職人街のなかほどの楽器店に入ると、店の奥の5坪ばかりのスペースが工房になっていて、見習いらしい少年と、2人の青年が丸い胴の部分を小刀で整形している。
店主らしい中年の男が、その胴のひとつを持って「これに」と言って、壁際にぶら下がっている何本もの長い棒を指差して、「あっちの棹をくっつけて、弦を張ったら出来上がりさ」とジェスチャーを加えながらなんともおおざっぱな説明をする。そんなことわかってるさ、と思いながらもフムフムとうなずく。


店にある楽器の中でもいちばん大きいのはドゥタールだ。何台か試し弾きさせてもらい、値段を訊ねて、ディスカウントの提案をする。なかでもひときわ寄木細工の幾何学模様のきれいな1台を買うことに決め、店主に「これを1台持って帰りたい。替えの弦と駒、それに予備のペグ(弦巻)もつけてね」と頼み、「さっき言った値段で全部込みだよ」と付け加える。


店主はなにやら頭の中で計算している様子だったが、ええい、しょうがないといったやや機嫌を損ねた表情で「オーケー、分かったよ」と顔を軽く横に振った。駒は小さなものだから別にしても、ペグ代や弦代を儲け損なったと思ったのかもしれなかった。

それでも店を出る時にははじけるような笑顔で、「またいらっしゃい。いい楽器をたくさん作って待っているから。日本の友達にこの店を宣伝しといてくれよ」と言って送りだしてくれるのだった 。


こうして飛行機の中も大事に抱えて持ち帰った1台のドゥタールは、東京のぼくの部屋に風が抜けると、低い共鳴音をならす。それはまぎれもなくシルクロードの沙漠の乾いた砂の音だ。


次回はアルメニアを予定しています。



文・写真撮影 門井菊二
1954年埼玉県生まれ。出版社において雑誌・書籍の編集職を経て、現在フリーランスで文学、歴史、芸術、ほかノンフィクション関連分野の書籍編集に携わる。
山岳、渓流、里山、海外辺境などの分野では写真およびビデオ撮影を継続中。
また主にユーラシア各地の民族楽器を蒐集、演奏し、最近はアイルランド伝統音楽の演奏に取り組んでいる。