昨2004年のアテネオリンピックの開会式の模様は残念ながら見損なったままだが、ニュースなどで垣間見たところによれば、式典の途中どこかでギリシアを代表する民俗楽器ブズーキの大合奏が行われたようであった。どことなく物哀しい感じのする、オリエンタルな香りたっぷりのメロディーは、たいがいがこの楽器が受け持っている。

 映画「日曜はダメよ」に出てくるタベルナでのシーンや、「その男ゾルバ」で主人公ゾルバが登場する導入部にもトレモロのメロディーが流れていた。ギリシア歌謡レベティカにもつきものの楽器である。
 いつのころからこの楽器への興味が高まり、自分の一台を手にすべく旅立ったのは、まだギリシア国営のオリンピック航空が成田〜アテネ間を直行便で結んでいたころだった。


めてのアテネ、とりあえず繁華街プラカ近くの安宿に荷をほどき、まずはなにはともあれパルテノン神殿を見に行かねばなるまいと、町に飛び出した。すでにバカンスシーズンはピークを過ぎ、欧米からの観光客が少なくなった9月も末ころだったから、ぼくの値引き交渉が特別巧みだったわけではなく、安ホテルのフロントのおねえさんは、マネージャーに断るでもなくいともあっさり宿泊料金のディスカウントに応じてくれたのだった。

それはともかく、教科書でしか見たことのなかったパルテノン神殿を眼前にすると、それはそれは改めて仰天の存在だった。こんな壮大な石の建造物が2500年も前に建設され、それが21世紀の現在まで残り、首都の丘の上にその威容を誇っているさまは、なるほどヨーロッパの人たちが自分たちの文化の源流と意識し、憧れ、大勢が見物に来るわけだと、東洋から来たばかりのぼくは妙な感心もした。

 しかし町中にはパルテノンばかりでなく、民主主義の発祥の地であるアゴラ跡や競技場、凱旋門など、歴史で慣れ親しんだ遺跡がずらりオンパレードで、きょろきょろと歩き回りながらカメラのシャッターを切る姿は、さながらアテネのおのぼりさん状態。

国会議事堂に面したシンタグマ広場近くで三脚を立てて撮影していると、どこからともなく背の高い男がやってきて、ワタシフネデデコーベ、オーサカ、ヨコハマイッタ、ニッポンジンダイスキヨ、マチヲガイドシテアゲマショウ、ソノアトトモダチノミセニビールノミニイキマセンカ、などとうるさくつきまとってくる。オナシスを生んだ海運王国ギリシアのことだから、船員あるいは元船員はたくさんいるだろうが、こんなやつは怪しい。適当にあしらっているうちにあきらめたのか、あるいは警官が通りかかるのを潮時と見たのか、いつのまにかいなくなった。



さて、ブズーキである。起源はペルシアあたりと思われる。現代のものは4コース8弦が主流で、伝統的なものは3コース。マンドリンの胴を大きくして、ネックを長くして、ギターの糸巻きを付けたものと思えばいい。弦は金属。フレットはギターのように打ち込んである。ぽかんと開いたちょっと大きめのサウンドホールがじつに特徴的で、これによって若干とぼけた感じの音を奏でる。鋭くリズムを刻むかと思えば、素早いパッセージの合いの手を入れたり、ソロでも伴奏でも変幻自在の楽器である。

地中海に浮かぶ大きな島クレタが発祥だという説もあるが、中近東からバルカン半島にかけて同様の楽器がいくつもあって、ちょっとだけ違うというバリエーションもたくさんあるから、ここでいついつ誕生したなどと碑を建てるような場所があるわけではない。最近では胴の裏側をギターのように平らにした、いわゆるフラットバックのブズーキも国外で工夫され、アイリッシュ・トラッドをはじめヨーロッパ周縁の伝統音楽などでも多用されている。
 

アテネから北へ特急列車で半日ほど、ギリシア第二の都市テッサロニキはかつて一時期ビザンツ帝国の首都が置かれたこともある古い町で、エーゲ海海運の主要な港町でもある。北東に正教世界の聖地アトスをひかえ、西方にはアレキサンダーを生んだ古代マケドニア王国の都ペラやヴェルギナなどの遺跡、歴史のある教会や修道院が点在し、同じギリシアといっても、ペルソネス半島などの南部とはひと味違う旅行者好みの地域だろう。マケドニアやブルガリア国境まで100キロもない。


町をぶらつきながら尋ね当てた楽器店で試し弾きなどしながら、このブズーキはどこで作っているのかと聞くと、どうだいい楽器だろうと言わんばかりに、それならすぐそこの角を入ったところで、おれの息子が作っているのさ、と店主は自慢げに答える。

早速その工房を訪ねると、まだ若いブズーキ職人、デカバラス青年がちょうど一心にサウンドホールの成形をしているところだった。邪魔をしないからちょっと見学していいかと聞くと、ノープロブレムと言うように首をちょっとだけ傾げてみせた。彼は英語がしゃべれない、ぼくももちろんギリシア語がしゃべれない。身ぶり手ぶりと簡単な単語だけでラウンドバックのこと、フレットのこと、弦のことを聞くが、ことは楽器の話だけに基本的な話はだいたい分かるのだ。ぼくが日本からきたことを知ると、デカバラス青年は東京という町についてずいぶん知りたがったが、おたがいの語学力ではそれ以上のコミュニケーションは無理だった。



そろそろ仕事に戻りたい、というような彼の素振りをきっかけに、君の楽器を一台日本に持って帰りたい、予算はこれくらいだがどうかと聞くと、おやじの店へ行けと言う。おやじが一番いい楽器を選んでくれるよ、そう言ってまた首をちょっとだけ傾げてみせた。
 このテッサロニキで求めてきた一台のブズーキは、いま日本の東京近郊のぼくの部屋に鎮座して、時々ケースから取り出されてはエーゲ海風のトレモロをちょっと舌足らずに奏でる。


イスタンブールへは何度も行った。アテネで乗り継いで行ったこともあるし、ローマから入ったこともある。トルコ航空で成田からまっすぐ入ったこともあるが、イスタンブールへはどこでもいい、どこかの他の都市を経由してひと呼吸して入るのがいいように思う。なぜかといっても確たる理由はなく、いきなり日本から行くにはちょっと雰囲気が違い過ぎる。町の匂いからたたずまい、すれ違う人の足どりまで、なにからなにまで違い過ぎるのだけれど、旅をするたびにこの大きな落差に魅了されてしまう、実に不思議な世界だ。

黒海とエーゲ海をつなぐボスポラス海峡に面する要衝の地に築かれた、ヨーロッパとアジアにまたがる都市。ローマ帝国の都からビザンツの都へ、やがてオスマントルコの絢爛の中心として400年にわたって栄えた町。
 最初のイスタンブール行きは、もちろん世界遺産に指定されている歴史地区、ブルーモスクやアヤソフィアが立ち並ぶ旧市街を訪れるのが第一の目的だったが、同じくらいの比重を持ってトルコのいろいろな楽器を持って帰りたいという目的もあった。トルコという国は民族楽器の宝庫というような印象が出かける前からでき上がっていた。



サズというのはペルシャ語で弦楽器全体をさす言葉である。いわゆるロングネックリュート、洋梨型の胴を持つこの楽器の中ぐらいの大きさのものをバーラマ、小型のものをジュラ、大型はディワンと呼ぶ。テナーやアルト、ソプラノといった音域の異なるファミリー楽器の総称がサズというわけだ。金属弦を張り、小さな薄いプラスチック片で弦をはじいて音楽を奏でる。3コースの7弦がふつう。長い棹にフレットが糸で巻いて刻まれている。固く巻いてはあるが、容易に動かせるので微妙に音程をずらすことができる。そうして作った一音の四分の一くらいの音程が曲にトルコ風と言ったらいいか、ペルシャ風と言ったらいいか、絶妙な雰囲気をメロディーに与える。

もうひとつ、中近東を代表する弦楽器にウードというフレットのない短い棹に大きな丸胴の歴史の古い楽器がある。アラブ・イスラム世界の一番の代表的な楽器なので、アラブ語の定冠詞をつけて、アル・ウードと呼ばれる。現在のイスラム諸国にはほとんどあり、もちろんトルコにもあって、現代ポップスにも使用されるたいへんにポピュラーな存在の楽器だ。

 


こうした中近東を中心に生まれたサズやウードといった楽器が、ユーラシアの大動脈シルクロードを伝わって各地へ伝搬し、さまざまな工夫やその土地にあった改良が加えられ、その土地特有の民族楽器が生み出されてきた。東の果ての日本に伝わるころにはすっかり形が変わって、三味線や琵琶になった。西へ向かった一群はルネッサンスや産業革命の波に洗われて、リュートやギターになった。しかし楽器のどこかには蒙古斑などのような、遺伝的な痕跡が必ずあるものだ。アレキサンダーの東進から始まる文化の移動・伝播を、このように楽器や音楽を通して感じ取りたいというのが永年のぼくのテーマの一つなのだが、それはさておいて、飛んでイスタンブール。

旧市街から金角湾をガラタ橋で渡ると新市街。ジェノヴァ人が建設したガラタ塔に上ると金角湾越しに旧市街の展望が抜群だ。ボスポラス海峡の向こうには、アジア側の市街が広がり、さらにその向こうにはアナトリアの大地が広がっている。「オリエント急行殺人事件」の作家アガサ・クリスティの定宿だったペラ・パラス・ホテルもこの近くだ。その411号室で作品の構想を練ったはずだ。



楽器店が何軒も並んでいるのは路面電車が走っている通り沿い。ドラムセットやギター、キーボードなどエレキトリックな楽器を並べている店が多く、伝統楽器を置いている店は少ないが、それでもサズとウードはたいがいの店が片隅にぶら下げている。YAMAHA や ROLAND などという世界メーカーの看板やステッカーを誇らし気にかかげている店も多いが、その日本からやってきた身にとってはなんだか拍子抜けのする光景ではある。気を取り直して一軒の小さな小さな店に入る。

 いいウードが欲しい。そうだな、できればバーラマも持って帰りたい。そのダルブッカ(太鼓)もいい音がするね。ギチャックはあるかい? ネイ(笛)はどんな種類があるの? サントゥールはどうやって演奏するんだい? ??突然やってきて矢継ぎ早に質問し、試奏する東洋人に、店主ははじめ面喰らっていたが、やがてビジネスチャンス到来と見たか、店内にいた少年の頭をこずいてチャイ(お茶)を注文して来いと走らせ、どうです旦那こっちのほうがいい楽器ですぜ、とばかりに次から次へ楽器を壁から外して触らせてくれ。

まあチャイでも一杯どうぞ、まだまだ時間はたっぷりあるから、どうぞお好きなものを選んでくださいな、なんなら二階にもあるからご覧になりますか、とすっかり商人の顔つきである。


それから楽器を選び、値段交渉を重ね、店を出たのはすでに夕闇の迫る3時間後であった。買った楽器を安宿に届けてもらうのはすこし気がひけたので、かついで帰ることにする。ウード、バーラマ、ダルブッカ、中くらいの長さのネイ、短い長さのネイ、ズルナ(チャルメラ)。それにカメラザックを背にしているので、これだけ抱えるとどう見ても奇妙な格好だろう。

ガラタ橋を渡っていると、スパイスの香りに魚を焼く匂いが潮風に混じり、モスクからはアザーン(礼拝の呼びかけ)が流れてきて、 異国の夕暮れに、なにやら切ない思いで一杯になった。



文・写真撮影 門井菊二
1954年埼玉県生まれ。出版社において雑誌・書籍の編集職を経て、現在フリーランスで文学、歴史、芸術、ほかノンフィクション関連分野の書籍編集に携わる。
山岳、渓流、里山、海外辺境などの分野では写真およびビデオ撮影を継続中。
また主にユーラシア各地の民族楽器を蒐集、演奏し、最近はアイルランド伝統音楽の演奏に取り組んでいる。