リレーエッセイ「友達の輪」は、とっておきの友達を紹介するコーナー。
高橋公さんからの紹介は村岡千代乃さんです。



村岡千代乃さん
FRIENDS NO.080


●生年月日:1930年3月30日
●趣味:絵と俳句
●大切にしている事:調和
●今の気持ちを感じ一文字で:命
●若い秘訣:華麗なる加齢を心掛けること


私の78年の人生で、太平洋戦争(第2次世界大戦)を抜きにしては、
何も語ることが出来ません。
昭和16年12月8日開戦、その翌日の4月にそのころ川崎に住んでいた
私は始めての空襲を体験しました。
この空襲は余り知られておりませんが、京浜工業地帯が爆撃されたのです。
被害の程度は低かったようです。
そのあと私たち一家は宇都宮に疎開しました。
女学校の1年生でした。
そして昭和20年8月15日の終戦までに、学徒動員と言う名のもと軍需工場に
行かされたり、空襲で宇都宮の街が一晩で消え失せた地獄のような様を
目撃したり、学友を失い機関銃掃射を受けたり、15歳の少女が毎日毎日、
今日死ぬのかな、明日は命あるのかなと思いながら生きていたのでした。
いや、生きると言う感覚を失っていたと言うべきでしょう。

三島由紀夫がこんな事を書いています。
「戦争中、いつ死ぬか分からないとき、あのときはそれが幸せだったんだ。」
この言葉はあの恐ろしい日々を体験した者だけに分かるとても意味深いものです。
あの頃を忘れたいと思いながら、忘れることが出来ません。
忘れられないと言えば、今でも悔いの残る或る出来事があります。

それは戦争が終わって3年位した春先です。
まだ東京にはあちこちに焼け跡が残っていて、巷では平和とか自由とかの言葉
が人々の中にやっと浸透してきた頃でした。
私はタイピストの学校と洋裁の学校に通う学生でした。
その日は、春の陽ざしの中、3人の友人と宮城前広場の芝生に座っておにぎりを
食べていました。
麦のいっぱい入った梅干のおにぎりです。
するとボロ服を着て薄汚れた顔の戦災孤児が近寄って来ました。
10歳位の男の子です。
そのころシューシャインボーイと呼ばれていましたが、何のことはない小さな
木箱を首からぶら下げ、その中にはアメリカ兵からもらったと思われる靴墨が
1個とすり減ったブラシが入っているだけなのです。
「おねえちゃん、靴みがかせてよ」と言いましたが磨くほどの靴を履いていない
私達は「ごめんね、だけどおにぎり上げるから一緒に食べようよ」と誘った。
その子は喜んで私達と並んで食べ始めた。
泥だらけの破れた服や、カサカサの手や、顔を眺めている内に私はふと、
「可哀想に空襲でお父さんやお母さんいなくなったんだね」と言いました。
その時でした。少年はいきなり食べていたおにぎりを私に投げつけ、
「おまえ、それを聞いてどうすんだよ」そう言うと私達の前から駆け出して
行ってしまいました。

しばらくして私は軽率な思いやりのない言葉を吐いてしまったことに気付きました。
空襲で悲惨な体験をした一人の少年が精一杯の悔しさ、哀しさを表現した、この
言葉の重みで胸が一杯になりました。
あれから60年以上の歳月を経てもあの春の日の出来事を忘れることはありません。

『自分史に学徒動員 敗戦忌』  千代乃
FRIENDS NO.080
『村岡千代乃さん』
FRIENDS NO.081
『児玉徳夫さん』

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